家での居場所・部屋
アダルトチルドレンにとって家庭、家族は、親よりの干渉、暴力等が頻繁に起こり、心の休まる居心地の良い安全な場所ではありません。
また、一般的な家族団欒の場と言われる食事の時間も、アダルトチルドレンにとっては、いつ何を言われるか分からない緊張の場であり、また、顔を突き合せたくない親と一緒にいなければならない不快な時間かもしれないのです。
では、アダルトチルドレンは家のどこに安心で安全な場を求めているのでしょうか。
私の経験から書きますと部屋です。
アダルトチルドレンにとって自分の部屋が安心で安全な場所なのです。
学校や仕事から家に帰ると言っても、アダルトチルドレンは家に帰るのではなく、部屋に帰るのです。
また、アダルトチルドレンによっては親と一緒に食事をするのが嫌なために、部屋で1人で食事をしたり、食事の時間を敢えてずらすような工夫をしている場合もあります。
アダルトチルドレンは親から散々に干渉されたり、家庭内の問題を背負わせれたりと、親と一緒にいるだけでも緊張やストレスを抱いているのです。
したがって部屋は唯一1人で居られる空間なのです。
親の干渉から逃れられる唯一のリラックス出来る場所なのです。
そして、アダルトチルドレンは部屋が「心の中」となっているような感覚さえ持ってしまいます。
ですから、外出中に部屋に誰かが入ったことが分かると過剰に怒りを感じます。
それは、許可も得ず誰かが部屋に勝手に入るということは、土足で心の中に踏み込まれたのと同じことだからです。
今まで散々親に心の中を踏み込まれたように、部屋に無断で入られることは同じことなのです。
そして、「またか」「もうやめてくれ」と、激しい怒りを感じるのです。
部屋はアダルトチルドレンでなくても、健全な子供にとっても個の尊重においては重要なものです。
部屋には子供の秘密があります。
子供が大きくなりますと、当然友人、異性、自分の趣味等において、親には秘密にしたいことが出来てきます。
これは、親と線を引くという意味でも大切なことです。
ここで、親が部屋に勝手に入って、机の中を探し回ったり、ベットの下を覗き見る等探究心を発揮することは言語道断です。これは子供の秘密を暴くことに専念している行動となります。
しかも、家に帰ってきた子供に対して親がこんなものを見つけたとか、秘密にしていたいことに対して暴露することは、子供の心を傷つけ、更には怒りを生じます。
子供の秘密を何でも知っていたいという親がいたとしたら、それは子供を私物化しています。自分の子供だからといって何をしてもいいわけではありません。
自分がそのようなことをされたらいかに感じるか、考えたら分かるものです。
実はアダルトチルドレンの親にはこのようなあら捜しの詮索好きの親が結構いるのです。
子供は心に傷を負い、何でも侵入してくる親に無力感すら感じることでしょう。
健常な家族では子供にとって部屋は個の尊重の場であり、安らぎの場です。
家族間の団欒とコミュニケ-ションがあり、かつ個が尊重される場がある。
しかし、アダルトチルドレンにとっては、家族はストレスの場であり個を尊重されるべき部屋もないとすれば・・・。
屋根裏部屋で過ごす、屋根に登ってボッとする等、本当に悲しいものになってしまいます。
また、親の個を尊重しない過干渉(勝手に部屋に入ってきて詮索する等)が頻発に起こりますと、子供は成長するにつれ他者との関係においても、少し意見を言われたり、ちょっと肩が触れたりしただけでも、自分への干渉、テリトリ-の侵害等過剰に反応してしまい、怒りを内に抱え込み、生き辛さの原因となってしまうのです。
親の期待について
親は子供に期待をします。
当然と言えば当然でしょう。
でも、この期待が親のエゴに基づくものでありますと、その子供が親の期待を背負い込み、その影響から生き辛さを抱えてしまいます。
エゴに基づく親の期待。それは、親のために何かを満たす期待です。
子供が何かをすること、達成することから親は満足を得るのです。これは、子供の側に立って考えると、親の期待を満たすために行動している、頑張っているとなってしまいます。
もっと言うと、親の期待を満たすために生きていることにつながるのです。
よくある例です。両親共に教師です。そして、彼らは子供には礼儀正しさ、成績優秀を求めます。これは、教師である親が教師にふさわしい子供の像を作り上げ、押し付けているのです。親は子供を自分達の理想で縛りあげ子供の自由を奪うのです。
子供にとってみては迷惑以外のなにものでもありません。
自由に振る舞うこと遊ぶことを奪われ、親の期待を満たすために日々勉強机に向かい合い、塾に行かされるのですから。これでもし、親が仕事から帰ったあと子供の学習能力向上を名目に、子供の側に座り、子供の学習指導をしていたら子供は窒息してしまいます。まったく、くつろげる時間がないのです。
以前も書いたと思いますが、親は自分がそういう目に合ったらどう感じるか、そういう育てられ方をされたらどう感じるか、自分が嫌がることを子供に押し付けるべきではないのです。
しかし、ここで問題です。それは、機能不全家族の世代間連鎖です。
親の両親も共に教師であり、自分の子供にしていることと同じことを、その親(つまり子供の祖父母)から受けていたとしたら、それが当たり前であり、その受け継いだ期待と育児態度を当然のものとして我子に対して行ってしまうのです。ここにはまったく共感や客観性は欠如しています。でも、この場合でも祖父母から厳しく育てられた頃の思い出や感情を振り返れば、してはいけないことは分かると思います。
さて、先例は親が自分の親より勝手な期待をかけられ、それを満たすべき育てられ方をした。そして、その教育を当然のものとして我子にも行っている世代間連鎖につきまして書きました。
しかし、それ以外にも親の信念から、子供に親の理想を押し付けて子供の自由を奪う例は多々あります。誰しも完璧な人間ではありません。親であれば我子にこうなって欲しいと勝手な期待をするでしょう。でも、それが過剰な期待、そしてそれが日々日常の縛りとなりますと、子供の性格の問題、生き辛さへと発展をするのです。
例えば親の信念として一流会社に入らないと社会人としての価値がない。このような信念があったとします。しかし、これは親の勝手な信念であり、子供には関係ないのです。
人はどのような信念を持っていいのです。でも、それはその人の範疇に留めておくべきものです。それを他者に押し付けると軋轢が生じます。
しかし、子供の場合は押し付けられた信念に従うことを余儀なくされる立場にあります。
そして、親の信念を満たすため親のために人生を歩むのです。
また、この親の信念が自分のエゴを満たすためだと問題です。先ほどの一流会社に入社しないと価値がない。この場合の価値とは親の見栄のためという場合もあるかもしれません。親自らの自己価値が低く、子供に期待して達成させ、親の自己価値を満たすのです。○○会社に入った息子(娘)をお持ちのお母さん(お父さん)です。
親の達成出来なかった夢を子供を通して達成させようとする場合も危険です。例えば親がプロ野球選手を夢みていた場合、その子供に幼少の頃より野球を習わせ、プロ野球選手を共に目指す場合があります。もちろん、子供が野球が好きになって、練習の虫にでもなればなんの問題もありません。でも、子供が野球が嫌いな場合はどうでしょう、また、生まれつき運動神経が悪くて練習をしてもうまくならず、周囲と比較しても技術不足であれば、子供は劣等感を感じてしまうでしょう。それも親のエゴもために。
ここまで書くと失礼かもしれませんが、そもそも自分が目指して諦めた夢を、そのDNAを受け継ぐ子供に託すのはいかがなものかとも思いますが。
様々な親の期待を書かせて頂きました。まず、親は子供に期待しても、押し付けるべきではないということは共通して言えます。それは親の価値でありそれだけのことなのです。
親の期待・価値を押し付けられた子供は、生きるため、怒られないため、悲しませないためと思い自己を抑圧して親に合わせます。その代償として無感情、思考の減退、自己信頼感の欠如等様々な生き辛さを背負うのです。
振り返ってみて親が子供に対して良い期待とはどのような期待でしょうか。(もちろん、親の期待から子供の才能を開花させる例もあるので、期待することが全て悪いと書くつもりはありません)前述の勉強にしても野球にしても、親が子供に期待して習わせることが悪いとは言いません。しかし、そこには子供との意志疎通が必要なのです。子供には子供のしたいことがあるのですから、親の期待が子供に重くなり、辞めたい、変更したいといつでも自己表現出来る雰囲気作りはまず大切でしょう。そのうえでその時の子供の気持ち、意志を尊重することです。
親が無条件に子供に期待して良いこと、それはその子供の人格、人間性、健康に関することのみではないでしょうか。