2007年05月 アーカイブ

心理的ひきこもり

心理的ひきこもり。この言葉を皆さんは聞かれたことはありますか?

おそらく耳慣れない言葉だと思います。
この言葉は私が提唱(?)した言葉です。たぶん。

ひきこもりには、社会から完全に距離を置いている社会的ひきこもりが以前より注目を集めていました。
このタイプはずっと部屋にこもって日々生活をします。

それに対して心理的ひきこもりとは、社会生活は送っているのだけれども、周囲の人とは打ち解けられず、心の交流もなく、集団の中で孤立しているタイプを指します。
したがって人との交流から得られるコミュニケ-ション力、対人スキル、人間関係を築く力は大変弱いのです。

私もこの心理的ひきこもりタイプでした。


そして、今、私の大学時の心理的ひきこもりの状態をピッタシ表現した本を読みましたので、その本の内容を参考にしながら、書き続けていきたいと思います。

タイトル 「準」ひきこ森
著  者  樋口 康彦   講談社α新書刊

樋口氏は、準ひきこもり(私のいう心理的ひきこもり)の大学時の生活及び状況を以下のように描写しています。

「大学にはまじめに登校し、学業成績にも問題はない。しかし、学校と家を往復しているだけで家族を除く他者との交流はほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態」
「準ひきこもりの人は就職活動や社会人生活を送るうえでの能力・準備が不足しているため、就職活動期もしくは大学卒業後に社会不適応を起こすことになる」
「大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生である」

私も大学には真面目に通い、秀、優の点数は結構ありました。
でも、ただ真面目に通うだけで友達もおらず、昼休みは大概図書室で寝ていました。
これでは、当然様々な人間関係から学ぶコミュニケ-ション力、対人スキルは身につきません。


そして、樋口氏は準ひきこもりの問題をコミュニケ-ション力以上に、その容姿と捉えています。

「準ひきこもりの学生は、全体的に見て、知的側面に比べて社会的側面が未熟である。彼らは、自分が他者からどう見られているのかを正確にとらえることができない。自分を客観視できないことがこうした人たちの最大の特徴なのだ」
「自分を客観視出来ないのが準ひきこもりの最大の特徴である。ほとんどの準ひきこもりが、自分がそれほどまでにひどい外見をしているということを自覚していないのは大きな問題である」

これは何を示しているのでしょうか。
私の場合も高校時のカッタ-シャツをきて大学に通ったり、髪もボサボサでした。でも、ひどい外見であるという自覚はしていませんでした。

私はこのひどい外見の問題の本質はコミュニケ-ション能力、対人スキル能力欠如の問題と共通していると思います。

まず、外見がひどいということですが、なぜ、外見がひどいのでしょうか。
考えられることは3つ。

1 ノーマルな服装、外見を学習していない。
2 他者から見られる自分を意識していない。
3 敢えてひどい外見をしている。

1と2につきましては社会性の欠如が原因と考えられます。自分の殻にこもっているので社会一般の基準が分からないということ、そして、他者の視線に立って自分を見るという共感性の欠如が原因です。すなわち、社会において人と関わっていれば当然養われる、社会性の欠如なのです。
心理的ひきこもり、準ひきこもりの問題の本質は、自分が自分のなかにこもることにより、社会性を育めない問題なのです。
(3については後述します)

そして、社会性を育めなかった彼らは、就職活動においてその問題を露呈するのです。
「大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので、大学生活に適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごしていける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはないのだ」

大学では周囲と不適応をきたし孤立していても、誰もそのことを問題にはしません。また、私自身もひとり孤独で楽でした。
しかし、就職活動になるとその問題が吹き出るのです。
それは、社会性の欠如が決定的原因です。
笑顔が出来ない、固い態度、コミュニケ-ション力の欠如、質問に臨機応変に答えられない等様々なスキル不足が現れるのです。
また、自分にこもっていたので外に目が向くこともなく、結果として夢もなく、ただ、漠然と面接を受けていたに過ぎませんでした。
これでは、内定が取れるわけがありません。

心理的ひきこもり、準ひきこもりは大学生活においては、その環境より何ら問題のないように過ごせたとしても、就職活動に直面してはじめて自分の問題を認識するのです。


このように大学時人との関わりを避けていた私ですが、その心情はどのようなものだったのでしょうか。

樋口氏は次のように記述しています。
「準ひきこもりは一見おとなしそうに見えるが、その内ではプライドと劣等感、攻撃性が激しく渦を巻いている。見方を変えると、周りは悪者ばかり、そしていじめられる[か弱くかわいそうな自分]という図式を作ることで心のバランスを取っているのである。誰も自分のわがままを聞いてくれないため、とにかく不平不満が多い。孤立するのも、人生が楽しくないのも、常に周りが悪いからだと考えて、なかなかその思考から脱却できない」

私自身も周囲に対してはかなり敵意を感じていました。

さて、前述の外見がひどい問題に話しを戻します。

3 敢えてひどい外見をしている。

私の場合これは自己を正当化、周囲を悪者にしている表現なのです。
自分は外見よりも内面に価値を置いている。
この勝手な理屈で外見はどうでも良いと思っていたのです。しかし、実際には社会性欠如でしたから内面も魅力はなかったと思いますが・・・。
でも、周囲に対するすさまじい怒りは感じていました。

私は心理的にひきこもり大学時を過ごし就職活動でも内定は取れませんでしたが、運良く縁故で就職出来ました。


心理的ひきこもり、準ひきこもりで大学時を過ごした多くの若者はその後どうなるのでしょうか。

樋口氏は次のように述べています。
「準ひきこもりの学生生活は社会進出を控えた大事な4年間を、他の学生が様々な経験を積み急成長する大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社の激務などとうていできない。へたをするとそのまま人生自体を無駄にしかねない」

私は心理的ひきこもりの卒業後の姿について4つに分類しました。

1 就職先がなく面接で傷つき社会的ひきこもりとなる。
2 就職先はなかったが、フリ-タ-としてバイトで働く。
3 運良く採用され社会人となったが、会社生活でつまづく。そして退職。
4 運良く採用され社会人となったが、心理的にひきこもったまま仕事を続ける。

私の場合は4でした。正直社会性のないまま仕事を続けるのは辛かったですが、事務という仕事柄外の人と会うこともなく、何とか14年間続けられたと思います。


今ここまで書いて思ったことですが。
大学卒業式。車(ホンダ シティ)に乗って通学。
卒業証明書を受取り、1人さっさと帰ったことを思い出しました。
これも虚しい話です。


今回はアダルトチルドレンとしての私の大学時の心理的ひきこもりについて書かせて頂きました。
これは私の経験であり、多くのアダルトチルドレンの方の参考になるかどうかは分かりませんが。

今回書いたことについては、心理オフィス ステラのアダルトチルドレン悩み相談集でも、対抗依存と回避性人格障害として後日視点を変えて書きたいと思います。

心理的ひきこもり・2

私のアダルトチルドレンの問題として、コミュニケ-ション能力欠如、対人スキル欠如等、社会生活、人間関係を築くうえでの問題が多々ありました。

これらの原因が、心理的ひきこもりでした。

心理的ひきこもりとは前回も書きましたが、社会生活(学校、職場)はおくっているのだけれども、人間関係が築けず、心を閉ざして生きている。
そのような人たちを言います。
心を閉ざしているのですから周囲の人たちと人間関係を築けないのは当然であり、人間関係が築けないから、人間関係から学べる、共感能力、対人スキル等獲得出来ず、社会生活するうえで、さらに生き辛くなっていくのです。

では、なぜ心理的ひきこもりという現象は起こるのでしょうか。

社会的ひきこもりとも共通していますが、それは傷つきたくないという思いからではないでしょうか。
ひきこもる。自分の殻に閉じこもる。心を閉ざす。感情を感じなくさせる。
これらはすべて、傷つきたくない、自分を守るための手段だと思います。

社会的ひきこもりは、部屋にひきこもり人とのかかわりを避けることにより、傷つくことから自分を守ります。そして、心の安定とひきかえに自分の存在を社会から抹消するのです。その弊害として社会との断絶における期間が長ければ長いほど、社会復帰は難しくなります。

それに対して心理的ひきこもりは辛さを抱えながらも社会生活はおくっています。
心を閉ざすことにより人との交流を絶ち、人から傷つけられることに対して自己防衛をしているのです。
しかし、これは更なる生き辛さの原因となります。
なぜなら、心を閉ざし人との交流を絶ちながらも、人の中で生活をしているのですから、立場を代えて周囲から心理的ひきこもりを見ると「暗い奴」「何を考えているか分からない」「顔も見たくなと」等、周囲から不評をかい、それでも、そのなかで生きていかなくてはならないのですから。

心理的ひきこもりで心を閉ざしたとしても、その内面は敏感で傷つきやすさを抱えています。周囲から嫌われているなと感じながらも、更にその感じている自分の気持ちを抑圧して、その社会のなかで生活するのですから、まるで敵に囲まれ日々生活するようなものです。自分を否定する人のなかで生活を営むのですから、そのストレスは相当なものです。

では、このような状況でいかに心の均衡を保つのでしょうか。
私の場合は自分を正当化、周囲を悪者にしました。
具体的に書くと自分には能力がある、周りは能力がない、だから誰も自分を理解出来ない、このような感じです。(根拠はまったくありません)
そして、この思いは高校、大学時は強かったと思います。

とにかく異質の人間だったのでしょう。
普通に考えるとこのような人はいじめの対象になるのですが、なぜか私はならなかったのです。
それは、内面に秘めた攻撃性がどこかで出ていたからだと思いますが。

また、自分を正当化するとは言葉を代えると、自分を巨大化します。
自分を偉いと位置づけるのです。これは萎縮した自己の反動です。
したがって、高校、大学時の私の夢は、映画監督、作曲家でした。とくに才能はなかったのですが、自分の能力、感性で圧倒的な成功を収めたい。
そして、自分の偉大さを証明したい。このような妄想に囚われ日々過ごしていたように思います。

心理的ひきこもりが、社会のなかで生活するには次の2つの方法があります。
1 常に自分が悪いと思い、周囲に合わせる。
2 常に自分を正当化して、周囲を悪者にする。

私の場合は今まで書いてきたように2番目のパタ-ンです。

では、心理的ひきこもりが社会のなかで生きていくうえにおいて、1番目のパタ-ンを採用したらどのようになるのでしょうか。

心を閉ざし、常に自分に問題がある、自分が悪いと思い日々すごす。
想像出来ますか。
心を閉ざしながらも、他者の視線や評価を意識する。そして、自己価値を下げ続ける。地獄ではないでしょうか。

私は心を閉ざしながらも、自分の価値は周囲を悪者にすることにより守り、心のバランスをとってきました。
でも、心を閉ざしながらも、他者を意識して、さらに自己価値を下げるとなると、心のバランスはとれません。
これは、自己防衛ではなく、自分で自分を傷つけている行為のように思えます。


さて、自分を正当化して自分を守ってきた、心理的ひきこもりの私も23歳で就職をします。
そして、就職を機に私の自己防衛システムは破綻をきたし、自分の生き辛さを実感することになるのです。

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