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   <title>アダルトチルドレン悩み相談集</title>
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   <updated>2009-12-18T05:22:48Z</updated>
   <subtitle>心理カウンセラーによるアダルトチルドレンの生き辛さからの回復を目指して作られたサイトです</subtitle>
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   <title>回復のスタート　安全な居場所の確保</title>
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   <published>2009-12-18T11:21:30Z</published>
   <updated>2009-12-18T05:22:48Z</updated>
   
   <summary>アダルトチルドレン、生き辛さからの回復のために最も重要なこと。 それは安全な居場...</summary>
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      アダルトチルドレン、生き辛さからの回復のために最も重要なこと。
それは安全な居場所の確保です。
安全な居場所とは、心が安定していることが出来る、居場所ということです。

そして安全とは今自分の生き辛さを招いているその事象、事態より遠ざかることでもあります。
しかし、この自分の生き辛さを招いている事象、事態もその原因により２つに別れます。

１つはその原因が外部からの侵入によるもの、もう１つは自分の反応によるものです。
今回の安全な居場所の確保については外部からの侵入により、心の安定が脅かされることについて書きたいと思います。

しかしその前に、自分の反応により生き辛さを感じていることについて簡単に書きます。
例えば職場での人間関係に悩んでいる人がいます。職場の人は皆いい人ばかりなのですが、悩んでいる本人に対人不安の傾向がある場合です。
職場の人に見られているということに対して不安を感じる、または大勢の人がいるということに対して不安を感じる、これらは自分が環境に勝手に反応して、職場が安全な居場所ではなくなるのです。
これは自分の反応の問題です。

さて、本題です。
外部からの侵入により心の安定を脅かされるとはどのような場合でしょうか。
例えば親子関係の悩みです。
常に親から過干渉があり、子供が家に帰ってくれば都度干渉が始まります。
干渉だけならまだいいのですが、否定、暴言が混じってきますと、聞いている方はたまりません。
この場合子供に経済力があれば別居して、親からの干渉、否定、暴言から逃れ、自分の心の安定が確保出来る場所を持つことは大切だと思います。
アダルトチルドレンからの生き辛さの回復には、自分創りが欠かせません。
安全な場所に自分がいることが回復へにのスタートなのです。
なぜなら心の安定が図れない場所では、心の回復は図れないからです。
日々外部からの侵入がありますと、それにより日々ストレスを感じます。
不要なストレスを感じる状態では心の回復は難しいでしょう。

ですから、外部からの侵入により心が安全な居場所が確保出来ない場合は、まず安全な居場所の確保が大切なのです。

この安全な居場所の確保については、例えばＤＶの相手と別れる、社内のパワハラ上司と距離を置く等、外部の人間の行為により悩み苦しむ場合はすべて侵入者から離れることが何よりも大切です。（離れるということは相手にその行為をやめさせることも含みます）。
そうしないとこちらがおかしくなるのです。

さて、この外部からの侵入の脅威に関することで難しい問題があります。
それは子供からの侵入です。
子供といっても幼児ですが・・・。
この悩みは若い母親に多いと思われます。
すなわち子供がしたい放題して母親の言うことを聞きません、この場合母親からすると子供がコントロール不能の脅威の対象となるのです。
もちろんすべての母親がこのような感覚を持っているわけではありません。

しかし母親によっては子供をコントロールしようと強く子供を叱りつけたり、萎縮させたりと、子供に対する感情のコントロールが出来ない問題で悩んでいる方もおられます。
私は子供がいないので、このテーマのカウンセリング今は受けないことにしていますが・・・。
以前受けていた時の母親のお話しを伺うと、やはり母親自身の親子関係に大きな問題があるようです。

例えば親から常にこうあるべきと支配的に育てられた場合は「子供に対しても行儀よくあるべき」と強く思ってしまったり、または綺麗にしている部屋を汚されことに恐怖を感じたりと・・・。
または静かにしていたいのに、うるさく騒ぐ子供に邪魔をするなと切れるのかもしれません。

しかし、子供とはそもそも自分勝手で親の都合など考えずに元気に活動するものですから、母親がそれを脅威と思ってもどうしようもないことなのです。
子供相手では親が安全な居場所の確保等出来そうもありません。
そして、この脅威者に対して感情のコントロールが効かない問題は、子供と一緒に暮らす限りはなかなか解決が難しいようです。
（子供に対するコントロールが効かず子供に切れ、遠慮なく侵入してくる子供に憎しみを抱く場合もあり、または子供を強く叱った自分に嫌悪感を抱き、子供に対して罪悪感を抱く、そしてこの悩みがぐるぐると日々連鎖するパターンに陥ってしまうのです）。

したがって、アダルトチルドレンと思われる方は結婚して子供が生まれる前にカウンセリング等受け、自分を癒す必要があるのではないでしょうか。

結局親が子供に対して感情のコントロールが効かない問題は、子供がそのために生き辛さを抱えてしまう結果を招くのですから。

世代間連鎖の恐怖です。

      
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   <title>インナーチャイルドとは</title>
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   <published>2009-09-14T12:39:29Z</published>
   <updated>2009-09-14T01:51:33Z</updated>
   
   <summary>インナートャイルドという言葉聞かれたことはありますか？ 私もカウンリンングにおい...</summary>
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      インナートャイルドという言葉聞かれたことはありますか？

私もカウンリンングにおいてインナーチャイルドという言葉を使う時があります。
インナーチャイルド。
訳すと自分の中の子ども。
実体はあるのでしょうか。

さてインナーチャイルドという言葉は心理カウンセリング以上にヒプノセラピーで使われているように感じます。

私が以前ヒプノセラピーでインナーチャイルドセラピーを受けた時のことです。
これはイメージのなかでインナーチャイルド（子ども時代の自分）と出会い、インナーチャイルドを自由にさせる（解放させる）作業のようでした。

私も自分のインナーチャイルドと出会い、セラピストの言葉に従ってインナーチャイルドを連れて外に出かけました。
森を通って、山の上（下は渓谷）のようなところにつき、一緒に下を見ました。

インナーチャイルドセラピーはイメージワークですので、イメージの中でインナーチャイルドが自由に好きに振舞うことから、癒しへとつながるのでしょうか。

残念ながらヒプノセラピーは１回しか受けませんでしたので、その効果は体感出来ませんでした。
しかし、イメージの中に自分の子どもがいることも事実でした。

さて、インナーチャイルドを自由にさせると書きましたが、するとインナーチャイルドはそもそも自由ではないのでしょうか。
人によっては自由なインナーチャイルドもいるのでしょうか。

自由、自由でない。
言葉を変えると健全なインナーチャイルドと不健全なインナーチャイルドがいるのでしょうか。

そもそもインナーチャイルドとはチャイルド（子ども）のことです。
子どもに健全、不健全があるのでしょうか。

私はあると思います。

これは心が健全か不健全かなのです。
では、健全、不健全とは何でしょうか。

生まれたばかりの赤ん坊の心は自由で澄んでいると私は思っています。
しかし、その心も親や養育者の影響、生育歴の影響により、縛られ、自由を奪われるのような感じがします。

では、心理カウンセリングにおけるインナーチャイルドとは何でしょうか。

私が思うインナーチャイルドについて書かせていただきます。
インナーチャイルドとは子ども時より培った、自分や周囲、人生に対する思い込みのような気がします。
そして、その子ども時に得た思い込みに縛られ続けているから、私たちは生き辛さを感じてしまうのです。

１　自分に対する思い込み
・私は愛される価値がない
・頑張り続けないと私は生きていけない
・私は不要

２　他者に対する思い込み
・競争に負けてはならない
・周りはいつも私のことをあざ笑っている
・人の頼みは断ってはならない

３　人生に対する思い込み
・お金がないと生きていけない
・成功しなければならない
・結婚は苦しみしかもたらさない


皆さんはこれらの思い込みに縛られ生きている人についてどのように感じられますか。
もしこれらの思い込みがなければ、人生どんなに楽でしょうか。
自由に感じ、自由に振舞い、生きていけます。

ヒプノセラピーでは、イメージにおけるインナーチャイルドがしたいように行動することにより。思い込み（その前提である親や養育者との葛藤、心の傷等含む）からの解放を図るものではないでしょうか（好きにしてもいいんだよというメッセージも含めて）。

それに対して心理カウンセリングのインナーチャイルドとはイメージ以上に言語により、親子関係、生育歴、心の自由を縛る思い込みや、過去の傷に話して頂き、必要であればその思い込みに対してどう対応するか言語により話し合い、思い込みからの解放を目指します。

イメージを主に用いるのか、言語を主に用いるのかによって、アプローチは変わってきますが、目指すことは共に心の自由なのです。

健全なインナーチャイルドとは自由な心であり、それは遊び心、楽しむ心、創造の心ではないでしょうか。

そして、生きていることを実感できる心ではないかと思います。

      
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   <title>アダルトチルドレンは結婚をしても良いが、子供を持つべきではないのか？</title>
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   <published>2009-05-28T12:39:02Z</published>
   <updated>2009-05-28T08:50:47Z</updated>
   
   <summary>「アダルトチルドレンは結婚をしても良いが、子供を持つべきではない」という意見を聞...</summary>
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      「アダルトチルドレンは結婚をしても良いが、子供を持つべきではない」という意見を聞く時があります。

これは妥当な意見なのでしょうか。

私は半分妥当、半分妥当性はないと思っています。

ではなぜアダルトチルドレンは子供を持つべきではないと言われるのでしょうか？

それはアダルトチルドレンが機能不全家族の出であり、良き親のモデルを学習していないからではないでしょうか。

私たちは知っていることしか伝えることが出来ません。
機能不全家族の親の行動パターンのみしか知らないとなると、自分が親になり子供を持っても、生き辛さを与えた親と同じ行動、子育てを自分の子供にしてしまう可能性が高いのです。

この意味においては、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見は妥当かもしれません。
要は自分の親と同じことを、子育てを通して子供にしてしまい、子供に生き辛さを伝播させないために、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見があるのでしょう。

確かに知っていることしか伝えられない私たちにとってはそうなのでしょう。
しかし、知っていることとは、自分の直接経験したことのみではありません。
学習により知ることも出来るのです。

アダルトチルドレンが親の機能不全の子育てを経験して生き辛さを抱えていたとしても、家庭の形成、子育て、家族について学び、学習をして、自分なりの理想を持てばいいのではないでしょうか。
俗に言う、親業を学ぶということです。

新しく学習することにより、家族、子育てについて、自分なりの理想やモデルを持てたとすれば、アダルトチルドレンが子供を持ってもまったく問題はないと思います。

この意味において、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見については、妥当性がないと思います。

アダルトチルドレンが親になる際に大切なことは、自分は機能不全家族の出であり、親の養育問題より自分は生き辛さを抱えているということをまず認識していることです。
そして、自分の人生を振り返り、生き辛さの原因を知り、子育てについても学習することなのです。


さて、ここまではアダルトチルドレンの一般論について書いてきました。
ここからは私について書きたいと思います。

私はまだ独身ですが、実は私は家族団欒という言葉のイメージが出来ないのです。

家族団欒とは何でしょうか？

正直、私には分かりません。
おそらく家族団欒とは家族揃って食事をして、話しをして、その雰囲気を楽しむことではないかと思うのですが・・・。
残念ながら私にはその経験がないから分からないのです。

おそらく子供時には家族団欒の経験はあったのでしょうが、思い出せません。
私が家族関係で思い出されるのは、1人で部屋で過ごす時間が多かったということです。
1人部屋で何をしていたかと振り返りますと、これも思い出せません。

私は子供時何をしていたのでしょうか？

さて、家族団欒に話しを戻します。
先に書きましたように、私には家族団欒のイメージが出来ません。
それ以上にこの言葉には違和感を感じてしまいます。
ということは、私にとって家族とは苦痛の種だったのでしょう。

揃っても楽しいこともなく（本当はあったのでしょうが）、安心出来る居場所ではなかったのでしょう。

そして今後の私の課題としては、仮に結婚をするのであれば、家族について理想を考える必要もあるのかなと思っています。

      
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   <title>あれは一体何だったのか</title>
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   <published>2009-02-17T14:23:48Z</published>
   <updated>2009-02-17T02:36:30Z</updated>
   
   <summary>アダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていますと、忘れていた記憶が急に思い出...</summary>
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      アダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていますと、忘れていた記憶が急に思い出されることがあります。
忘れていた記憶ですから、感情的に強く思い出されるのではなく、「そう言えばあんなことがあったなぁ」と静的な感じで思い出され語られます。

私の場合もありました。
数年前に思い出したことです。

私は幼少の頃よりピアノ（著書シンクロニシティに導かれてでは、バイオリンと書かせて頂いております）を習わされていました。
これは、父親がピアノニストにしたかったから？だったと思うのですが。
しかし、私はピアノの練習が嫌で、私としてはピアノについては父親のために習っているという感覚を幼いながらに持っていたと思います。

さて、思い出した記憶とは次のようなものです。

小学生４年生ぐらいの時、何かとても偉い先生の前でビアノを弾かされました。
そして、「ピアニストは無理です」（これに近いこと）を言われたと思います。

なぜ、この偉い先生の前でピアノを弾いたかですが、これは記憶しています。
当時習っていた先生が音大の講師の先生で弟子をピアニストにしたい先生でした。なぜ、私がその先生のもとで習っていたか経路は把握していませんが。
そして、たぶんその先生が私にはピアニストにはなる素質はないと判断され、それを更に上の偉い先生に判断してもらうという形を取るために、父にそのことを勧めたのだと思います。

そして、私はなぜか分かりませんが、偉い先生の前でピアノを弾いて、「ビアニストになるのは無理」と判断されたことを思い出したのですが。
この思い出したことには続きがあります。
それは、音大の講師の先生から、先生が別の先生に代わったということです。
講師の先生はピアニストを育てるのが仕事ですから、素質のない私は不必要だったのでしょう。

さて、ここまではたんたんと出来事を書いてきました。
しかし、この出来事について私は記憶はあっても感情はありません。
でも共感能力を発揮して時系列に考えれば、子供がたいへん傷つく出来事だと思うのですが。

偉い先生にピアニストは無理と判断されたことについては、悲しみを感じて当然でしょう。
そして、音大講師の先生から他の先生へ。これも、先生が代わるのですから、自分に対する価値のなさや悲しみを感じて当然です。
そして、父親のためにピアノを習っていたのですから、父親の期待に応えられなかったという思いも感じていたかもしれません。
しかし、すべては推測。
当時の感情がないのです。

でも、今考えるとなぜ父親のために、このような不愉快な思いをしなくてはならないのかとも思います。
ビアノを習っていたと言っても、私はピアノの練習が嫌いで、１日６０分間程度、嫌々弾いていたのです。
当然、ピアニストを目指す人間の練習量ではありません。
ですから、ピアニストなれないのは当然なのです。

おそらく父親も漠然とピアノニストと思っており、何のヴィジョンもなかったのでしょう。
ピアニストを目指す子供の練習量は１日、５時間以上。
半端ではないのです。


あれは一体何だったのか。


アダルトチルドレンには感情の伴わない出来事の記憶が一杯あります。
それは、アダルトチルドレンが自分を守るための防衛機制です。
記憶に感情が伴うと悲しすぎて生きていけないのです。


あれは一体何だったのか。
あれは一体何だったのか。


すべては過去の産物なのでしょうか。


あれは一体何だったのか。
これは今も私たちに影響している過去の産物・記憶・思いです。

例え感情がなくても、もう傷つきたくない気持ちはあります。
その傷つきたくない気持ちから、自分を縛る行動や、他者との関係性が築けない行動等、今の私たちに影響を及ぼしていてるのです。


あれは一体何だったのか。
私の過去に何が起こったのか。
そして、小さかった私はその後どう生きようと決断したのか。

今の生き辛さからの解放、アダルトチルドレン回復への鍵なのです。

      
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   <title>アダルトチルドレン回復へ　まとめ</title>
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   <published>2008-12-05T12:04:28Z</published>
   <updated>2008-12-08T07:07:52Z</updated>
   
   <summary>今までアダルトチルドレンについて、主に自分の経験から書いてきました。 では、ここ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ac-kaifuku.com/ac/">
      今までアダルトチルドレンについて、主に自分の経験から書いてきました。
では、ここでアダルトチルドレンからの回復のプロセスについてまとめをしたいと思いまいす。

アダルトチルドレン回復へのプロセス

１　生き辛さに気づく

自分は何か生き辛い、何か人と違う、自分に違和感を感じる等、すなわち気づくことが大切です。
気づかないと生き辛さが当たり前であり、生き辛さに疑問を持つこともなく、回復へのスタ－トがきれないのです。

２　過去を振り返る　感情に触れる

アダルトチルドレンは機能不全家族を生き延びるために自分を喪失しています。
過去の家族関係等を振り返り、感じていた本当の自分の感情に気づき、過去を嘆き、怒る等封じていた感情を発散することも有効です。
しかし、人によっては感情を感じたくない、過去の感情に触れることを拒否される方もおられます。それはそれでいいと思います。無理をして辛い感情を感じる必要もありません。
でも、感情を感じることが癒しに通じることもあることも事実です。

また、感情の感じ方ですがこれも人様々です。私はカウンセリングにおいてあまり泣き叫ぶ方を見たことがありません、どちらかというと静かに感情を感じられ涙する方の方が多いのです。

３　思い込みに気づく　

アダルトチルドレンは子供時の親子関係より様々な思い込み（強くなければ価値がない　私は価値がない　人生は戦いだ等）を抱いています。これは親からの取り込みもあれば、自分が自分に課したのかもしれません。
そして、これらの思い込みが今の私たちを縛ります。
思い込みは根拠がありません。なぜ、その思い込みを持ったのか子供時を振り返り、今への影響を考え、自分を縛る思い込みを手放し、健全な思考へと変更するのです。

また、子供時を振り返ることについてはアダルトチルドレンは子供時の体験を覚えておられない方も多々おられます。たとえ子供時を覚えていなくても、今の自分を縛る思い込みは認識出来ます。
必ずしも過去にこだわる必要はありません。
今に気づき未来を築くのです。

４　役割を変更する

アダルトチルドレンは機能不全家族を生き延びるため、様々な役割を背負い続けてきました（頑張り屋、助っ人、ロンリ－、ヒ－ロ－、マスコット、いけにえ、プリンス等）。
その子供時より背負い続けてきた役割を今も社会生活をおくるうえで背負ってはいないでしょうか？
機能不全家族を生き延びるために必要であった役割が、今の自分に必要かどうかです。
おそらく必要はないと思います。
今の自分に気づき、古い生き延びるための役割を脱ぎ捨てるのです。
そして自由に。

５　親への思いの整理

これは無理をしてする必要はありません。
しかし、アダルトチルドレンは世代間連鎖の問題であり、親もアダルトチルドレンであり生き辛さを背負っているはずです。
親を許しなさいと言うつもりはありません。
私たちも親も世代間連鎖という大きなシステムの影響を受けてしまったのです。
そして、世代間連鎖のシステムの流れを理解することは、私たちが次の世代にアダルトチルドレンの生き辛さを伝えないためにも有効です。
そして、このシステムの連鎖を断ち切ることが、アダルトチルドレンの偉業なのです。

許すとは相手のためにあるのではありません。
自分のためにあるのです。それは自分が楽になるために・・・。

６　他者との境界の設定

自分と他者の境界を設定します。
境界のない人間関係とは、人の視線や気持ちばかり感じ優先して、自分を抑える関係性です。
他者と自分の境界を設定するということは、他者の気持ちばかり推し量らず自分を表現するということなのです。

しかし、境界の設定が難しいと感じた時は、そこには他者に対する思い込みがあると思います。例「嫌われたら終わりだ」「本当の自分を知られたくない」等。
これらの思い込みも根拠がありません。
思い込みを変更して他者より自由になるのです。

７　適切な自己表現を学ぶ

アダルトチルドレンは自分を守ることに一生懸命でした。それには、無理に他者に迎合する、自分を出さない、敢えて高圧的に振る舞う等の手段を用いてきました。しかし、これでは他者と円滑な人間関係は築けません。他者と円滑な関係を築くための適切な自己表現、コミュニケ－ションを学ぶことも大切です。

８　行動の促進　人とつながること

人は人を通してしか成長出来ません。
他者との境界を保ちながらも、他者との関係性を築き、様々なことを学ぶのです。
恐れていたこと、不安に思っていたことが現実に起こるのか、行動の促進を図り現実から学ぶのです。

９　自分にＯＫを出す

回復のプロセスを歩み成長している自分にＯＫを出すこと、生き辛さを抱えながらも今まで精一杯生きてきた自分にＯＫを出すことです。
自分を認めてあげることが出来るのは自分だけです。
自分が自分にＯＫを出すのです。

１０　自分を創る

アダルトチルドレンは今まで自分を抑圧してきました。本当の自分の人生を生きてきていません。今こそ自分の本当の気持ちに正直に、やりたいことを行い、夢を抱き進み、新しい自分を創造し、新しい人生を歩むのです。

      
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   <title>理想の自分を叶える　自分を創造するということ</title>
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   <published>2008-10-28T11:43:22Z</published>
   <updated>2008-10-28T06:59:39Z</updated>
   
   <summary>平成１４年６月（２００２年６月）に私は１４年３ヶ月のサラリ－マン生活を終了させま...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ac-kaifuku.com/ac/">
      平成１４年６月（２００２年６月）に私は１４年３ヶ月のサラリ－マン生活を終了させました。

今は平成２０年１０月（２００８年１０月）。
会社退職から、６年４ヶ月がたっています。

会社退職時に想ったことは、将来自分のカウンセリングル－ムを持ち心理カウンセラ－として仕事をしたいということです。
しかし、すぐには心理カウンセラ－としては活躍出来ないと思っていましたので、まずキャリアカウンセラ－（就職支援のカウンセラ－）として公的機関（ハロ－ワ－ク等）において仕事に就き、その後自分のカウンセリングル－ムをオ－プン。しばらくはキャリアカウンセリングと心理カウンセリングの仕事を並行して行い、最終的には心理カウンセリング１本で仕事をしたいと想ったのです。

そして今。
退職時目標にしていたカウンセリングル－ムを平成１８年９月（２００６年９月）にオ－プンさせ週末は心理オフィス　ステラで心理カウンセラ－として仕事を行い、月～金はキャリアカウンセラ－として公的機関において仕事に就いています。

まだ心理カウンセリングのみでは生計を立ててはいませんが、今の自分には満足しています。

これもアダルトチルドレンからの回復における成果だと思っています。

アダルトチルドレンは基本的に本当の自分を生きていません。自分を抑圧するにせよ、人を支配するにせよ、子供時からの役割や思い込み等に支配され本来の自分を封印し、様々な生き辛さを抱え生き続けているのです。

これは偽りの自己です。

ですから、アダルトチルドレンからの回復には本来の自分のパワ－を取り戻して発揮する必要があるのです。
そのためには自分はどうありたいのか、どのように生きたいのか、目標、理想、夢を描くことが第一です。（無意識はすべてを知っていると言われています。その目標、理想、夢がエゴではなく心の中から描いたものであれば、それが本来の自分かもしれません）。
そしてその目標・理想・夢に向かって日々前進するのです。

これは言葉を代えると、「理想の自分を叶える」ということです。

理想の自分とは前述しましたが、自分はどうありたいのか、どのように生きたのか等です。
これには仕事を変えることも含まれますが、それだけではなく性格の変容も含まれます。

例えば、「常に自分を抑えて自己表現を控えている」人がいます。
その人が自分はこう変わりたいと「なりたい自分」「理想の自分」を描き、その理想の自分の実現に向けてチャレンジをするのです。そして達成するのです。
これが「理想の自分を叶える」ことです。

上例の人が「常に笑顔で誰とでも気さくに話しをする自分」と、理想を描いたとしたら、その理想に向かってチャレンジをします。
これには、笑顔の練習、自分から話しかけること等、今まで自分が苦手意識を持って避けていたことに、積極的に動き、チャレンジすることが大切です。

なぜなら、行動・チャレンジをしなければ目標・理想・夢は達成出来ないからです。
想っているだけでは何も変わらないのです。
仕事を変える、性格の変容、自分が変わるためには行動とチャレンジが絶対です。

私は仕事を変えました。
そして、目標とする心理カウンセラ－として仕事をするために、常に積極的に動いてチャレンジをしています。
もちろん、このチャレンジは自分なりに精一杯していることであり、他者との比較は無用です。
理想の自分を叶えるということは、その自分になるために自分なりに精一杯努力することなのです。
自分は自分でいいのです。

そして、理想の自分を叶えるということは、自分を創造することであり、自分を築くことでもあります。

私が創造したのは心理オフィス　ステラだけではありません。
私自身を私が創造したのです。
築いたのです。

これには人前で話すことが出来る自分、積極的に物事提案する自分、声の質を変えた自分、文章能力を向上させた自分、交渉出来る自分等々。

心理カウンセラ－を目指す過程において、会社員をしていたのでは体験出来ない様々な出来事を必然的に体験することにより、新たな自分の能力を獲得することが出来ました。

ある目標を設定して行動することは、行動の過程における様々な体験より、予想以上の成果を獲得することもあるのです。

理想の自分を叶える、人生を創造するということは、新たな自分を築き、新たなパワ－を獲得することなのです。
これは自信の獲得につながり、自己信頼感をもたらします。

例え目標が性格の変容であっても同じです。

アダルトチルドレンは親から健全に育てられていません。
厳しい言葉で書くと、人として育ててもらっていないのです。
体を大きくしてもらいました。学歴もついたかもしれません。
しかし、人間性を育んでもらってはいないのです。

ですから、アダルトチルドレンは自分で自分を育む必要があるのです。

自分でなりたい自分、理想の自分を創造して。
その理想に向かい前進することにより、自分が自分を育てるのです。

      
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   <title>自分の人生を生きないと</title>
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   <published>2008-09-05T08:34:34Z</published>
   <updated>2008-09-05T08:35:51Z</updated>
   
   <summary>私が会社員を退職したのは３７歳の６月の時です。 前回より退職に至った理由を書いて...</summary>
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      私が会社員を退職したのは３７歳の６月の時です。

前回より退職に至った理由を書いていますが、退職を決意した理由は複数あります。
今回はその理由を振り返ってみたいと思います。

１　仕事にやりがいを感じない
入社以来１４年間勤務していましたが、仕事に対するやりがいを感じたことはほとんどありません。
事務という仕事柄もあるでしょう。また、私自身の積極性のなさが災いしていたのかもしれません。
これからも、この仕事からやりがいを感じることはないと思っていました。

２　将来に希望が持てない
やりがいと同じです。自分が定年までこの会社にいて仕事をしているヴィジョンが描けませんでした。
また、仕事は事務でしたのでずっと同じビルの同じフロアにいました。もし、このまま定年を迎えると本当に世間知らずで終わるのではとも思いました。

３　役割を変えたい
前回書いた内容です。いい人の役割から降りたかったのです。

４　自分の人生を生きていない
会社には親の縁故で入りました。縁故でしか入社出来なかったというのが本音です。
しかし、アダルトチルドレンである私は自分の人生を自分で決定したことがありません。
常に親の言いなりだったように思います。
親は仕事を辞めることに反対していましたが、ここで引き下がったら一生自分の人生を生きられないと思ったのです。

これだけ理由があると退職しないわけにはいかないと思うのです。
これだけの理由があるにもかかわらず、安定した収入のみを求めて働き、仕事を変える、人生を変えることを諦めたとしたら、それこそ何の生きがいもなくダラダラ時を潰し、何の魅力もない自分のまま人生が終わる思いました。

そして、退職理由を振り返りますと、一番大きな理由は自分の人生を生きていないということのように思います。
自分の人生を生きていないから、積極的な姿勢で仕事をする気持ちにもなれず、また人間的にも魅力がなく、自分の理想のヴィジョンや夢も描けなかったのではないかと思うのです。

また、当時味わっていた感情を思い起こしますと、このままやりがいのない仕事を定年まで続けてどうするのかという怒りと、仕事を辞めることの不安の板ばさみの状態でもありました。

しかし、最終的にはこの仕事を続けていたら「人生を失う」と思い、怒りが優先して退職を決意したのです。

退職を決意した時、私を応援する言葉に出会っています。
これは、シンクロニシティでしょうか。

キルケゴ－ル
「あなたは冒険をすることにより自分の足場をしばらく失うかもしれない。
　しかし、冒険をしないと人生を失うかもしれない」

そうなのです、退職しないと、冒険をしないと、人生を失うところだったのです。


親に支配されているアダルトチルドレンが自分で自分の人生を決めることは大変難しく、困難が生じます。
それは、親の言うことを聞くことが当たり前であり、親の言うことに背くことは罪だからです。

機能不全家族以外では家族が各々自己主張を行い、子供が親の意見に反することを言っても、行っても罪の意識は持ちませんが、境界のない機能不全家族では話は別なのです。

機能不全家族では親は子供を支配するため様々な方法を用います。その１つが期待の押し付けであり、期待通りに沿った時だけ子供を認め、沿わないと罵倒して恐怖感を植え付けたり、ため息等つき罪悪感を植え付けます。

その結果子供は常に親を意識して、親の期待や価値観に沿うことを当然のように思い、自分の意思を放棄して親の意のままに生きていくのです。
意識、無意識に親の期待、意を汲み動いてきたアダルトチルドレンには、自分の意志を大切に、自己主張を行い生きることは、今まで植え付けられ続けたものとは正反対であり、親に対する裏切り行為にも感じ、罪の意識さえ感じてしまうのです。

また、親の期待に沿う、言う通りに生きている限りは親の庇護もあり、安心感もありました。親のテリトリ－の中で生きることは辛くしんどいことではありますが、親に守られているという安心感もあったのです。
しかし、親の期待に反する、自分の意志を尊重して生きることは、親にはむかうことでもあり、その庇護も失う、親に見捨てられる可能性もあり不安と恐怖を感じてしまうのです。

これは経済的に自立しているアダルトチルドレンでも、精神的には自立出来ていない時、親の庇護は必要ないにもかかわらず、親の期待に反することに罪悪感を感じてしまう時が多々あります。
親に対して期待に沿う義務感と、期待を裏切る罪悪感だけが残ってしまった状態でしょう。

今まで親の言う通りに生きてきたアダルトチルドンが、自分の気持ちに正直に、自分の選択権を行使して、自分の人生を自分の力で生きていくことは大変な勇気が必要なのです。

でも、自分の人生を生きないと、人生を失うのです。

      
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   <title>役割を変えたい</title>
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   <published>2008-07-29T10:51:39Z</published>
   <updated>2008-07-30T06:45:52Z</updated>
   
   <summary>前回は人生に疑問を感じながらも会社勤めをしている自分について書かせて頂きました。...</summary>
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      前回は人生に疑問を感じながらも会社勤めをしている自分について書かせて頂きました。

実際に会社退職を決意した際は様々な思いがありました。
その中でも会社勤めを継続して身につけてしまった、役割を変更したいという思いがありました。
それは、「いい人の役割」です。

皆さんは「いい人」と聞いて、どのような人を想像しますか？

いつでも笑顔、優しい。
怒らず穏やか。
誰にでも親切。
共感能力が高く受容的。
気前が良くて裏表がない。

人によってはいい人のイメージは様々でしょう。

さて、アダルトチルドレンには子供時からの思い込みと役割の継続の問題があります。
アダルトチルドレンがいい人を演じているとすれば、それは子供時から親の愛を感じたことがなく、淋しさを味わい続けていました。そして少しでも親からの愛を得ようと「親に合わせなければ愛してもらえない」等思い込み、家庭内では親に合わし、自分を抑える役割を背負ってしったのです。
そして大人になっても「周囲に合わせなければ愛してもらえない」等子供時と同じ思い込み抱え、自分を抑え周囲に合わせいい人の役割を果たし続けるのです。

これはアダルトチルドレンがいい人を演じる場合の１つの例です。

さて、私の場合はどうだったのでしょうか。
退職時当時、私は中間管理職でした。
仕事は事務であり部下は全員女性でした。

私は部下にきつく言うことは出来ませんでした。これは嫌われたくないという思いが強かったのだと思います。
そして、部下が全員女性あり、機嫌を損ねてはあとあとの自分の仕事に影響する恐れも感じ、きつく言うこと指導することが出来なかったのです。

また、それと同時に自己主張するということが分かっていなかったような気もします。
私は子供時より自分を抑えていました。それは親に合わせるというより、どうせ言っても無駄という諦めと無力感を抱えていました。
成長するにつれてもこの感覚はずっと残っており、自己主張をすることはほとんどなかったと思います。
「どうせ言っても無駄」と思い込んでいたからでしょう。
また、自己主張をせず人とかかわらない青年期を過ごしていたので、コミュニケ－ションスキルが低く、スキルとしての自己主張、そこから部下指導の方法も習得していなかったようにも思います。

ですから、私がいい人を演じていたのは、相手の気持ちに敏感で嫌われたくない思いも強く、またいかに自己主張するのか、その方法も分かっていなかったと思うのです。
でも、その甲斐があって会社では「優しい上司」で通っていました。

しかし、退職前には自分が「いい人」の役割を演じ続けるのにしんどさも感じ始めていました。
おそらく１４年間の会社員・社会人として生活をおくるうえで、自分に対する自信も多少は回復して、自分の殻を破りたい気持ちだったのだと思います。
しかし、今まで自分を抑える役割を果たし続けていたのに、いきなり自己主張全開、カラ－を変えることも自分には出来なかったのです。

新しい自分を打ち出すには、新たしいステージが必要だったのです。
そして、自分を演じている役割から降りたかったのです。
そのために、会社を辞めるなんてと思われる方もおられるでしょうが・・・。
継続して身につけてしまった役割は、他者評価にも固定してしまっています。
ですから、私が我慢する人の役割を果たし終え、新しい自分になるためには、退職がもっとも有効な手法だったのです。

会社退職の理由は他にもありますが、私が会社を退職した理由の大きな１つに、継続してきた役割を変えたいという思いもが強くあったのです。


そして、今は若者の就職支援の仕事を組織に属して担当しています。
今の組織では前職のように「いい人を演じる」ことはまったくしていません。
人の視線、気持ちは敏感な性格ですから気にはなりますが、「どうでもいいや」と思うようにしています。すると、一瞬は気にするのですがすぐに忘れてしまいます。
また、主張すべきことは遠慮なく主張しています。たまに過激になっているかもしれませんが。

とにかく、我慢は辛いものです。
自分を抑え続けると心理的・精神的にもよくありません。
適度に自己主張することの大切さを実感を持って体験しました。

      
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   <title>人生に対する疑問　でも現状維持を選択</title>
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   <published>2008-06-26T12:05:44Z</published>
   <updated>2008-06-26T12:06:23Z</updated>
   
   <summary>私が自分の人生に疑問を持ったのはいつ頃でしょうか？ 幼少の頃より生き辛さはずっと...</summary>
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      私が自分の人生に疑問を持ったのはいつ頃でしょうか？
幼少の頃より生き辛さはずっと抱えていましたが、生きてきたこと・人生に対して疑問を持ってはいませんでした（漠然とは疑問を感じていたと思うのですが、はっきりと意識していませんでした）。
しかし、３２歳の時自分の人生に疑問を持ち、意識したことを記憶しています。当時はまだ会社員でした。

以前も書いたと思うのですが、私は大学時、自分で就職先を決めることが出来ず、親の縁故で銀行の事務代行会社に就職しました。
２３歳で入社、３７歳で退職をしましたがその間、入社直後、２８歳時、３２歳時と何回か真剣に転職を考えました。
最初の頃は人間関係が築けず、また仕事が嫌で転職を考えていたのですが、３２歳の時は仕事内容の不満以外、自分の人生に対して疑問、怒りを感じていました。これが真剣に退職を考えた原動力であるかもしれません。
しかし、退職後の不安を考えると、退職に踏み切ることは出来ませんでした。
それは当然です。退職すると収入を失うのですから。

では、当時私が退職を考えていた理由をもう少し詳しく書いてみたいと思います。

１　仕事内容の不満
仕事内容は事務です。事務とは今ある仕事をこなしていく作業であり、自分から仕事を求めなくても日々の事務処理に追われます。当時の私は主体性も積極性もなく言われたことをするだけの日々でした。ですから、事務職は当時の私には適職であったのかもしれませんが、惰性で仕事を続けている感じでやりがいはありませんでした。
仕事に対するやりがいは入社以来ずっと感じたことがありません。
「贅沢言うな」という声が聞こえてきそうですが、とにかくつまらなかったのです。
また、職場も若い女性ばかりで、何かしっくりいかないものを感じていました。
自分が定年の初老までこの会社にいて、周囲は若い女性の職員ばかり、私にはそのイメ－ジが出来なかったのです。
ですから、仕事に対する不満とはやりがいがないこと、将来のヴィジョンが描けないことの２つです。

２　人生の問題
私は３２歳の時「自分が自分の人生を生きていない」とはっきり自覚しました。そして自分の人生に疑問を感じました。
以前より漠然とではありますが自分の人生に疑問を感じてはいたと思うのですが、はっきりと意識・言語化は出来ませんでした。
また、なぜ３２歳の時に自分の人生に対する疑問・問題をはっきり意識したかは分かりません。
（当時は心理学の勉強もしていませんでした）。

そして、私がはっきりと意識したことは次の通りです。
子供の頃から親の言うなりであり、好きなこともしておらず、楽しい記憶もほとんどなく、会社も親の縁故で入った。
結局自分は親の手の中で生きているに過ぎないのではないだろうか？
このことをはっきり意識したのです。
同時に親に対する怒りもはっきりと自覚しました。今までは何か怒ってはいたのですが、なぜ自分が怒りを感じているのか分かりませんでした。

以前より感じている仕事に対する不満、そして自分の人生を生きていない怒りより、まず私は仕事を辞めたいと思ったのです。なぜなら、この会社にいては自分が自分の人生を生きることなく終わってしまう。そう感じたのです。

しかし会社を辞めたいと思っても、退職をして何をするのか、検討もつきません。
そして、それ以上に収入を失う不安を感じていました。

ですから、私は仕事内容、自分の人生に問題があろうが、この仕事を続けるしかなかったのです。
でも、仕事を続けるためには大儀名文が必要です。
その意味が必要なのです。

さて、何を求めてこの会社に残り仕事を続けましょう。
私がしたことは車を買ったことと、お見合いをしたことでした。

簡単に書くとロ－ンを組んでお金が必要な状況を作り、そして、結婚をして退職出来ないようにしたのです。

車は３２歳の時、日産のプリメ－ラカミノ2.0Ｔｅを購入しました。
２７０万円。５年間のロ－ンを組みました。
また、カーナビもつけ、それも最新のカーナビが出るたびに頻繁に買い替えまた。
まさに、物質で自分の人生を縛りつけたのです。

また、お見合いについてですが、とくに結婚をしたいわけではありません。
ただ、結婚をしてしまえば、当然収入が必要であり、会社を退職するわけにはいきません。
ですから、結婚することにより自分の人生を縛りつけようとしたのです。

車を買うことによって５年間のロ－ンを組み短期的に自分の人生を縛り、結婚をすることにより、長期的に自分の人生を縛ることにしたのです。

今まで親の価値観・人生に縛られて生きてきましたが、自分を縛る何かを他に求めることにしたのです。

これは、今考えると変化を恐れるということです。

そしてそれから５年後、車のロ－ンも終わり、結婚することもなく３７歳６月に会社を退職しました。

      
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   <title>あまり人に求めない、期待しないとは言いながらも</title>
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   <published>2008-05-16T00:07:03Z</published>
   <updated>2008-05-16T02:16:15Z</updated>
   
   <summary>私たちは今を生きています。 そして、私たちは自分自身を生きています。 しかし、振...</summary>
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      私たちは今を生きています。
そして、私たちは自分自身を生きています。

しかし、振り返って見てください。
そこにはもう１人の自分が生きているのです。

それは、自分のなかにいる子供時の自分です。
私は私を考え、感じ、様々な意思決定を行い生きていますが、実はこの過程において、私のなかにいる子供時の自分が大きく影響をしているのです。

そして、この子供時の自分のことを、心理学用語では、インナ－チャイルドと呼びます。
インナ－チャイルドは子供時の体験から得た自己防衛手段、思い込み、感情の記憶（心が満たされた・傷ついた）等をそのまま今に持って、私たちの中に生きています。
そして、それらは今の私たちの生活に大きく影響しています。

では、ここでインナ－チャイルドの自己防衛手段と思い込みについて少しみてみましょう。
（感情の記憶については、過去体験をした事実に基づく感情であり、思考的側面の自己防衛手段と思い込みとは異なります。今回は思考的側面における自己防衛手段と思い込みに焦点を合わせます）

１　自己防衛手段（別名：もうこれ以上傷つきたくない）
人はいつもいつも傷ついてばかりいると生きていけません。子供でしたらなおさらです。そして子供は決定をします。傷つかないためにはどうすればいいかを。

この傷つきから自分を守る方法は様々です。それは自分を傷つける対象や内容が各々違い、そこから自分を守る方法も様々あるからです。

例えば子ども時、親から条件付けの愛しかもらえなかった子供は、親から愛を得よう、認めてもらおう、期待に沿えず怒られて傷つかないようにと、親の条件、期待に合わせすぎます。

また、親から欲しい愛が何をしても得られないと悟った子供は、親から愛を求めることじたいをやめてしまいます。

親から何をしても怒られる、批判され続ける子供は、自主的に考え行動することをやめてしまい、親の指示したことしかしないようになります。怒られる、傷つくことから自分を守るのです。

このように、子供が自分を傷つかないようにするための自己防衛手段は、親に合わせる、愛を求めない、自主性の放棄と様々です。

そして、大人になった私たちにとっての問題は、インナ－チャイルド（私たちのなかにいる子供）が昔と同じように傷つくことから自分を守る方法で考え決定し、それに基づき私たちも考え、行動することなのです。

親の期待に合わせてきた場合は、人からの承認を得るため、人の期待に応えようと人に合わせすぎるでしょうし、親からの愛すら得られないと悟った場合は、他者から愛を求めることをやめてしまうか、過剰に求めてしまいます。また、自主性を放棄した場合は何事においても意思決定せず、主体性のない受身の人生を送ってしまうのです。

これらは、すべてインナ－チャイルドが過去、傷つかないための自己防衛手段を今も使い、今の私たちの思考や行動、態度の決定に大きな影響を及ぼしているのです。

２　思い込みの継続
自己防衛手段と密接に絡んでいます。

まず、思い込みとは何でしょうか。

先の例で、親の条件付けの愛、期待に合わそうと一生懸命の子供、そして一生懸命努力しても親の期待に沿えない子供は、親の期待に沿えない自分には価値がないと思い込んでいます。何をしても親から愛を得られない子供は、自分は愛されるに値しない子供であると思い込み、何をしても怒られ批判され続けられる子供は、自分がいけないからだと思い込みます。

そして、この思い込みをインナ－チャイルドが今も持ち続けている限り、今の私たちの人生、対人関係、社会生活に影響を及ぼし、生き辛さを抱えてしまうのです。

自分に価値がないと思い込んでいると、他者の肯定的評価を得るために気を遣い、かつ他者の否定的評価を過剰に気にします。愛されるに値しないと思い込んでいると、適切な自己愛も形成されず人間関係が築けないでしょう、また自分はいけない人間、無能な人間であると思い込んでいると自己決断能力欠如、勤勉性欠如になってしまうかもしれません。

このようにインナ－チャイルドが自分のことをどう思い込んでいるかによって、私たちの基本的な人生態度も決まり、社会生活に支障をきたすです。


ではここで、自己防衛手段（別名：もうこれ以上傷つきたくない）と思い込みの関係です。

例えば親の条件付きの愛、期待に沿えない場合ですが、自己防衛としては親に認めてもらおうと親を意識して親に合わせすぎる行動をします、でも、その背景には親の期待に沿えないと、自分は価値がないと思い込んでいます。
また、親の愛を求めながらも、親からの愛が得られない場合は、求めることを諦めることにより傷つくことから自己を防衛します。そして、そこには自分は愛される価値がないという思い込みがあります。
常に親から怒られ批判され続けている場合は、自分がいけないからだという思い込みがあり、主体性を放棄して親の言う通りにして自己を防衛するのでしょう。

自己防衛手段と思い込み。どちらが先に生まれるのかは分かりません。
２つ同時に生まれるのかもしれません。
しかし、いずれにせよ子供時身につけた自己防衛手段と思い込みを、私たちのインナ－チャイルドが持っている限り、私たちは今、生き辛いのです。


さて、長々と書きましたが本題です。
前回私はあまり人に期待しない、求めないと書きましたが、本当にそうなのだろうかとも思っています。

もしかしたら、インナ－チャイルドの自己防衛手段と思い込みが影響しているのかもしれません。

自己防衛手段として人に対する拒絶を恐れ、人との親密を避けているとしたら・・・。
また、思い込みとして自分は愛される価値がないと思い込む、もしくは自己価値に疑念を持っているとしたら・・・。

本当は人を求めたいと思いながらも、人に求めることを諦めているのかもしれません。

インナ－チャイルドの自己防衛手段と思い込みは、意識されることがあまりありません。
瞬間に自動反応的に出てきて無意識的に意志決定をしていると思います。
ですから気付かない時が多いのです。

そう考えると、自分の子供時を何が起こり、何を感じ、そして傷つきから自分を守るためにどのようにしてきたか、自分に対してどう思い込んでいるのか等振り返ることは、インナ－チャイルドを理解するうえでも大切なのです。

      
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   <title>私はあまり人に求めない　期待しない</title>
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   <published>2008-03-17T12:11:06Z</published>
   <updated>2008-03-18T00:49:39Z</updated>
   
   <summary>私はあまり人に求めないタイプです。 別の言葉で書くと人にあまり期待しないタイプな...</summary>
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      私はあまり人に求めないタイプです。
別の言葉で書くと人にあまり期待しないタイプなのです。

それでは、どうして人に求めない、期待をしないのでしょうか。
自分なりにいろいろと考えたのですが、理由は３つあるようです。

１　人から求められすぎた体験で嫌な思いをしてきたので、人に同じ思いをさせたくない。
２　人に求めた結果何も得られず虚しい体験をしてきた。だから、もう虚しい思いはしたくない。
３　求めなくても、期待しなくても、案外自分で出来てしまうから。

おそらく、この３つが入り混じっているのだと思います。

まず、１の「人から求められすぎて嫌な思いをしてきた」ことですが。アダルトチルドレンは親からの支配性を帯びた過干渉、過保護等を体験しています。私もそうです。
親から求められること、期待されることについて、それに応えるため、したくないことをしたりと、マイナスの感情体験をしてきたので、それと同じことを他者にすることをよしとしないのです。それは他者も求められたり、期待されると嫌な思いをするのではないかと感じているからです。

２「求めた結果虚しい思いをしてきたので、もう求めない」これは大きいと思います。
求めた対象は親です。私自身求めたことは何であったかと振り返ってみますと、自分の気持ちを分かって欲しいということだったと思います。しかし、もともと自己表現力の乏しい子供でしたので、表現が足らなかったのか、親が子供の気持ちに無理解であったのか、いずれかもしれませんが、自分の気持ちを分かってもらえたという感覚はありませんでした。
精一杯乏しいながらにも気持ちを分かって欲しいと思い自己主張をしたけれど、それが届かなかったとしたら、「どうせ言っても無駄だ」「求めるても無駄」「期待しても無駄」と人生の早期に諦めてしまいます。

だから、「人に求めることは虚しいこと」と大人になっても子供の時と同じように思っているのでしょう。
また、人に求めても、期待をしても、それが成されず腹のたつ思いをするぐらいなら、最初から何でも自分でした方が早いとも思っています。

３「求めなくても、期待しなくても、案外自分で出来てしまうから」これも１つの要因です。
まず、私のことは横へ置いて、このことを社会的に考えますと「求めなくても自分で出来てしまう」から求めないということは、社会生活をおくるうえで辛い時も多々出てきます。それは、求めるという言葉を「助けて」と言葉に置き換えれば分かることでしょう。
すなわち、何でも１人でこなす能力はあるのでしょうが、過剰に抱えこんでしまった仕事、負担がある場合、それをこなそうと限界を超えて１人で作業していかなくてはならないので、精神的にも追い込まれたり、体に支障をきたす場合も出てきます。
ひと言「助けてください」と言った方がどれほど楽か。

では、私の場合ですが、「自分で出来てしまうから」。
でも、本当にここまで１人でこれたかというとそうではありません。
例えば３７歳以降、退職後の人生を振り返ってみますと、お世話になった先生方にチャンスを頂き、それを最大限活かしてここまできました。
ですから、決して１人で何でも出来るわけでないのですが、必用最小限の人とのかかわりでここまできたように思います。

例えば、今見られているこのＨＰ。文章はすべて私が書いていますが、HP運営についてはプロに任せています。
ですから、このＨＰも私１人で作ったわけではないのですが、そんなに多くの人の手を介してはいません。

案外、自分１人で大概のことは出来ると勝手に思ってしまうと、人に求める必要もなくなってしまうのです。したがって、人に求める、期待する度合いが減ってしまいます。

さて、ここまで私が人に求めない、期待しない理由を３つ書いてきました。

では、ここまで書くと１つの疑問が出てきます。

「１人で困っていないのであれば、特段人との関わりを求める必要はないのではないか」

今私が疑問に思っているのはまさにそのことです。

私は子供の頃より人との関係性は希薄でした。今もそうでしょう。
（まったくの１人というわけではないのですが）

人脈が大切といいます。しかし、私は人脈は持っていないようです。
でも、困らない。
だから、人に求める必要がない、期待する必要がない。
その結果人間関係が広がらない。
でも、困らない。
ぐるぐると連鎖しています。

逆に人間関係を広げようと思うと、交流会や勉強会等にたくさん出席して、またその後の飲み会等、それはそれで労力とお金と時間の投資が必要です。
そう、考えると邪魔くさいと思ってしまいます。

しかし、人生の豊かさには人とのつながりは欠かせません。
また、いつも書いていますが、人は人を通してしか成長出来ません。

アダルトチルドレンは１人でいる時間が多く、孤独な時間を過ごしてきました。
１人きりには慣れています。
まして、それで社会生活に支障がなければ、無理して人とのつながりを求めなくてもと考える反面、やはり１人は孤独とも思ってしまいます。

新しい人と出会うのは１つのチャレンジです。
今チャレンジする時かもしれませんし、まだかもしれません。

１人でいることに孤独を感じるのでしたらチャレンジをしてもいいかもしれません。

私自身、今孤独は感じてはいませんが（それは忙しいから、熱中する仕事に就いているからでしょう）、やはり、今のままでは、人生の反対の面を知らないと思っていますので、どこかで行動の修正も必要なのかなとも思っています。

これからの課題でしょう。

      
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   <title>回復－２　嘆きと怒り　自己主張</title>
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   <published>2008-02-01T00:12:16Z</published>
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   <summary>アダルトチルドレンの症状から回復かるのに、大切なことは何でしょうか。 アダルトチ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ac-kaifuku.com/ac/">
      アダルトチルドレンの症状から回復かるのに、大切なことは何でしょうか。

アダルトチルドレンは自分を抑えて生きてきました。その結果、自分が何をしたいのか、何を感じているのかの自己感覚が欠如しています。
また、自分を抑圧してきた結果、自己が確立されておらず、周囲に合わせることで社会生活を送っています。これは自分と他者の境界設定が出来ていない問題です。

アダルトチルドレンの問題をこう捉えますと、アダルトチルドレンの問題、症状からの回復に必用なことが見えてきます。

それは、自分を確立することです。そして、他者との境界をきちんと設定することです。

では、自分を確立するためにはどうすればいいのでしょうか。

私は自己主張であると思います。

それは、自分の好きなことをする、自分の思った通りに行動する。これも自己主張です、
それから、自分の意見を周囲に合わせずに主張する。これも自己主張です。

自分を主張するということは、自分を出すわけですから、自分を抑えていては出来ません。自分を抑えないことによって、今まで眠っていた自己感覚が覚醒します。
また、自分を主張することによって他者と自分の違いも鮮明になり、他者との境界も築け自分とは何者であるか、自己が確立されるのです。

では、アダルトチルドレンが今まで自分を抑えていたために、出来なかった自分を主張するためにはどうすればいいのでしょうか。
自己主張することは自分を出すのですから、自分から外に向かうエネルギ－を放出することです。
いかにすれば、エネルギ－を自ら出し、自分を主張することが出来るのでしょう。

ここで必用なもの。
それは「怒り」です。
怒りのエネルギ－が必用なのです。

では、怒りのエネルギ－とは何でしょうか。
また、どのようにすれば怒りのエネルギ－が湧いてくるのでしょうか。

まずは、怒りのエルルギ－放出についてです。
怒るためにはどうすればいいかです。

怒りと悲しみは表裏一体です。
ですから、怒るためには悲しみ、嘆く必用があるのです。

では、それは何に対して。
それは、自分の過去に対して、自分自身に対してです。

過去を振り返り、我慢していたこと、本当はこうしたかったけど出来なかったこと、理解されず悲しかったこと等。アダルトチルドレンは様々なことを抑圧していますので、悲しみの感情も抑圧しています。
ですから、まずは過去を振り返り、その時の本当に感じるべきであった感情を呼び覚ますのです。
そして、自分の意志、気持ちに反して過ごしてきた過去を嘆く必用があるのです。

怒りは過去を振り返り、悲しみ、嘆くところから、悲しみの感情の噴出とともに、抑圧されていた怒りのエネルギ－も覚醒されます。

そして、私は怒りのエネルギ－を、その方向性から２つに分けたいと思います。

１　自分以外の対象に対するエネルギ－
２　自分自身に対する怒りのエネルギ－

１　自分以外の対象に対する怒りのエネルギ－
過去を振り返って自分以外の対象に対して怒るとは、誰かに対して怒りのエネルギ－を向けているということです。
では誰に対して怒りのエネルギ－を向けているのでしょう。
それは、自分を抑圧してきた者、自分をまったく理解してくれなかった者、自分を傷つけてきた者、好きなことをすることを禁止してきた者。
具体的にはまずは親だと思います。それ以外は祖父母、兄弟姉妹が考えられます。
過去を振り返り「こいつらのせいで」と怒りの矛先を、子供時生き残るために所属していた最小集団である家族に向けるのです。

２　自分自身に対する怒りのエネルギ－
自分自身の人生を振り返り、辛かった過去、何もさせてもらえなかった過去等、自分の過ごしてきた人生に対して悲しみ、嘆き、怒るのです。
自分以外の誰か、自分にかかわった人に怒るのではなく、まさに自分自身の人生に対して怒りの感情を持つのです。

さて、アダルトチルドレンの問題からの回復のためには、どちらの怒りのエネルギ－が必用でしょうか。

私は、自分自身に対する怒りのエネルギ－だと思います。それは、自分の人生に怒りるということは、その怒りは自分の今までの生き辛さの問題、症状のもとである、パタ－ン、思考、行動を打破するエネルギ－だからです。
もうこんな人生は嫌だ、二度と繰り返したくないという魂の叫びだからです。
そして、そのエネルギ－に衝き動かされ、自分を主張し始め、新たな自分の人生を創りあげていくのです。

自分以外の対象に対するエネルギ－も一時的には有効ではありますが、これが長期かすると執拗な復讐心に変わってしまいます。
嘆き、怒りのプロセスの先にあるのは回復であり、これは自分の過去を受け入れることでもあります。
いつまでも自分以外の誰かに怒りのエネルギ－を向けていると、回復の妨げにもなり、その分だけその人は幸福になれないかもしれません。

怒りのエネルギ－は今後の人生を創造する源泉であり、凄まじい力があります。
その力の使い方には気をつけてください。

      
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   <title>好きなことをしていいと言われても</title>
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   <published>2007-12-27T00:21:07Z</published>
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      アダルトチルドレンからの回復で大切なことは、自分を抑えないこと、
逆に言うと、好きなことをすること。これはひとつの大きなキ－ワ－ドです。

私の回復の過程を振り返ると、好きと言うより、様々な生き辛さを克服した体験を絶対的価値あるものにしたいという強い決意のもと、心理カウンセラ－を目指し、会社を退職しました。
しかし、職を変えるということは経済的な問題が関係しているので、よほど強い決意がない限りお勧め出来ません。
また、自分はこれを成すために生まれてきたと、確信を持てる人は正直多くないことも事実であると思っています。

ですから、アダルトチルドレン回復のキ－ワ－ドとして、まず「自分を抑えず、好きなことをしましょう」と、お伝えしています。

しかし、「自分の好きなこと」と言われても、それは何か？
これもすぐには見つからないかもしれません。
私の場合は心理学が好きなことでしたから、心理カウンセラ－の職に結びつきましたが・・・。

では、なぜアダルトチルドレンは好きなことがすぐに見つかりにくいのでしょうか。
それは楽しむということを疎外する要因が強いからだと思います。
それでは、楽しむことを疎外する要因について考えてみたいと思います。

１　感情の抑圧
私もそうなのですが楽しいということを少し難しく感じる時があります。
それは、楽しいと感じる感情の問題でもあり、または、楽しいという感情を表現する問題なのかもしれません。
長年自分を抑圧していますと、感情を抑圧することにつながり、楽しいと感じる感覚が麻痺してしまいます。
また、楽しむことを自分に禁じているのかもしれません。
さらには楽しさを感じてもその表現方法を学んでおらず、感情が動いてもどうしていいか分からず、その感情を感じないように敢えてしているのかもしれません。

私の場合楽しいと感じるのは、散歩をして陽の光、風の感覚等、自然を感じる時です。また、基本的に歩くのは好きです。
他は好きな食べ物を食べている時、酒を飲んでいる時でしょうか。
また、逆にこれといった趣味はありません。敢えて言うなら心理学です。

２　「どうせ」と言った感覚
何をしてもあきらめム－ドで自分を卑下してしまい、「どうせ何をしても」という人生の信念を学び持っているかもしれません。
好きなことをするにもチャレンジ心は多少は必要です。最初からあきらめム－ドではチャレンジすることもなく、楽しさの体験を追及する姿勢も生まれてこないでしょう。

３　完璧思考
何かをする以上は完璧にしなければならない。この完璧思考を信念として持ちますと、完璧を目指すあまり、楽しんで何かをすることが出来ません。特に人前で何かをする機会（試合、発表会）があろうものなら、完璧で失敗を恐れるあまり、完璧なまでの、これでもかという練習を繰り広げます。携わっていること自体が苦痛となってしまうのです。こんなしんどい思いをするなら趣味など不要と決意するかもしれません。

まだまだ様々な楽しむことを疎外する要因があると思います。
いずれにせよ焦ることなく、徐々に楽しむ感覚を回復させ、同時に今までの人生の信念を変更する必要があるのです。

では、楽しむこと、好きなことが見つかるまでどのようにすればいいのでしょうか。
私は自分の楽しみとして、自然を感じて歩くこと、食べる、酒を書きました（もちろん、それらは適度、適量でなければなりません）。

まずは自分の身の回りの小さいことから見つけ、楽しんでもいいのではないでしょうか。

でも、それも見つからないと言われる場合はどうしましょう。

私は人生哲学として「事に仕えること」を提案したいと思います。
事に仕える。

私たちは日々あらゆる事を行っています。
歩くこと、電車に乗ること、買物をすること、話すこと、仕事をすること、学ぶこと。枚挙にいとまがありません。
事に仕えるとは、私たちが行っている事を正しく行うということです。

例えば、歩く事に仕えるとは、いかに歩行者として振る舞うか。自分勝手に歩くのか、周囲にも気を遣いながら歩くのか。
話す事に仕えるとは、話している人とどのような態度で接するのか。自分のことばかり話すのか。相手の気持ちを感じながらも話すのか。

すなわち、いかなる態度でその事に仕えるのかを常に考えるのです。
言葉を変えると役割を果たすと言ってもいいかもしれません。

そして、私たちは事に仕えれば、仕えきるほど人格の向上が図れるのです。

事に仕えるとは当たり前のようで、難しいものです。
それは、事に仕えるためには常に自分を平静に保ち、物事客観的に見て、自分を振り返る必用があるからです。
自分にエネルギ－が集中している主観的な時は視野も狭くなり仕えるのが難しいのです。

楽しむことが今ひとつ見つからない場合、事に仕えることを意識して振る舞ってもいいのではないでしょうか。

人格の上がった分、運気も上がります。

      
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   <title>アダルトチルドレン回復へ</title>
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   <published>2007-11-29T14:27:55Z</published>
   <updated>2007-11-30T01:23:07Z</updated>
   
   <summary>さて、私がアダルトチルドレンの様々な問題を克服出来たのはなぜでしょうか。 再三書...</summary>
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      さて、私がアダルトチルドレンの様々な問題を克服出来たのはなぜでしょうか。

再三書いていますが、人の成長は人との関わりを通してしか図れないものです。
（カウンセリングはそのためのサポ－ト手段です）。
私自身も会社生活、話し方教室、心理学のワ－クの出席を通して人と関わり、対人スキルの獲得、共感能力の獲得等、成長、克服出来たと思っています。
それでも、会社在職時は自分に対する自信と対人不安だけは、獲得克服出来ませんでした。

では、自分に対する自信と対人不安。この２つの関係をまず考えてみましょう。

そもそも自分に対する自信とは何でしょうか？
自信⇒自分を信じる。
もう少し具体的に記述しましょう。
「チャレンジに際して目標が達成出来るであろう、何とかなるであろうという、その結果に対して不思議な確信のようなものを持っている。また、仮に結果が望むものでなくても過剰に傷つくことはなく、次は何とかなる、何とかするという、これも不思議な確信のようなものを持っている」
ちょっと、漠然としているかもしれませんが、私が自信について書きますと以上のようになります。

そして、対人不安。
人が自分のことをどう思っているかを過剰に気にしすぎることが問題の根源です。
悪く思われていないか、嫌われていないか、他者の気持ち、視線を気にしすぎてしまいます。

さて、ここで考えてみましょう。
もし、自分を信じて行動している人は他者が自分のことをどう思っているか過剰に気にするでしょうか？
（ここで大切なことは、人は誰しも自分が他者、周囲にどう思われているか気にする傾向はあるということです。それは、私たちが人間社会に生きているゆえ、他者評価、他者との関わり合い、これらは絶対不可避であるからです。ですから、問題は過剰に執拗に気にし過ぎることが問題なのです）。

私は自分の人生、自分の思い通りやってみようという人は、自分に専念する傾向が高く、エネルギ－を自分に向けますので、他者にエネルギ－を奪われることも少なく、他者の意識、視線、気持ちをそんなには気はしないと思っています。

前置きが少し長くなりました。
伝えたかったことは、自分に対する自信と対人不安は相関関係があるということです。
そして、私は会社生活を１４年続けても、この自分に対する自信の獲得は出来ず、対人不安の傾向は克服出来なかったのです。

なぜ、でしょうか？
それは、会社在職時は嫌な仕事を我慢して続けている。自分を抑えて仕事をしていた（事務という仕事柄これはしかたのないことですが）。
誰しも仕事では自分を抑える必用がありますが、私の場合は抑えることが仕事であったように思います。
そして、更には、ずっと親が敷いたレ－ルの上を歩んでいたからです。
（目立った反抗期もなく、進路に関して自分の意見を通したこともなく、また、就職も社会性欠如の問題から親の縁故で入りました）

では、私はいかにして自分に対する自信を獲得することが出来たのでしようか？

それは、会社を辞めたからです。
当時はリストラ全盛、就職氷河期でもあり失業率は７％を超えており、そんな厳しい雇用情勢のなか退職をするなんてと、誰にも理解されませんでしたが。
「やりがいのない仕事をこれ以上続けてどうするのか」という以上に。

「自分の人生を歩まなくては」「とり返しのつかないことになる」という強い思があったのです。
親から自分の人生をまずは返してもらったのです。

自分の人生を返してもらった時点でかなり元気になったと思います。
それは、抑えていたフタがとれたような感じです。
「好きにしていいんだ」そんな感覚だったと思います。

アダルトチルドレンからの回復に必用なことの１つは、「自分を抑えないこと」そして、「自分の好きにすること」は回復への大きなアプロ－チと思います。

そして、次に大切なことはチャレンジをすることです。
当然のことですが、自分の好きにするということは、自分の好きなことにチャレンジをするということです。これには「理想の自分にチャレンジ」をすることも含まれています。

アダルトチルドレン問題克服記でも書きましたが、退職後私がまずチャレンジをしたことは、キャリアカウンセラ－の養成講座で参加者全員と話しをすることです。
対人不安の克服には、あえて避けていることに挑戦することが有効です。
これは対人不安だけでなく、自分が避けている様々なことに有効です。
（もちろんチャレンジする前に、出来るであろうというイメ－ジとスキルの獲得は必要です）

敢えてチャレンジすることの効果は、出来るという自信と達成感の獲得です。
私が会社在職時獲得克服出来なかったことは、会社退職後様々なことにチャレンジをして、徐々に獲得克服出来たのです。

そして、このためにも人との関わりは重要なのです。
アダルトチルドレンの多くが悩んでいることは人間関係、自己表現、自分を抑える傾向が高いことです。
人との関わりのなか、自分の抑えている様々な問題に敢えてチャレンジ、そして、出来るという自信を獲得することこそが、アダルトチルドレン回復の大きなキ－であると思います。
      
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   <title>過去を振り返ること</title>
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   <published>2007-10-09T00:30:31Z</published>
   <updated>2007-10-09T03:56:20Z</updated>
   
   <summary>前回の続きです。 アダルトチルドレンの問題、症状からの回復には過去を見つめなおす...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ac-kaifuku.com/ac/">
      前回の続きです。

アダルトチルドレンの問題、症状からの回復には過去を見つめなおす必要はあるのでしょうか。
実際にカウンセリングをしていると、過去は過去でいいと言われる方も案外おられます。
私は過去を見ることを避ける傾向としては次の２つが考えられると思います。

①	未来にエネルギ－が向かっている。
②	過去が嫌い。思い出したくもない。

いずれにしてもカウンセリングとは、クライエントの方の気持ち、希望を第一として行われるものですので、クライエントの方が過去を見たくないと希望されれば、それはそれでいいのです。
実際にそうは言っても、カウンセリングを進めていくうちに、折々過去に触れる場合もあるのですから。

さて、私の場合ですが前回も書きましたが、過去を振り返ること、また、過去を振り返るカウンセリングは受けていません。
特に、過去を振り返らなくても、自分の問題は自分の子供時の親の育児態度にあることは理解していました。そして、それ以上掘り下げることはしませんでした。
（とは言っても、過去を振り返るワ－クショップを３日間受けたこともあるのですが、何をしているのか全然分かりませんでした）
たぶん過去が嫌いだったのでしょう。
実際、私は小、中、高、大の写真を持っていません。
写真、卒業文集、卒業アルバムはとうの昔に捨ててしまいました。
そのことについては後悔もしていませんし、見たいとも思いません。どうせ見ても無感覚になるだけですので。
いずれにせよ、私が過去を振り返ることにエネルギ－を注がなかったのは、過去何の思い出もないので無意味と感じたのか、視線が今と未来に向いていたのか、その両方なのかもしれません。

私がアダルトチルドレンの問題から回復出来たのは、今に適応することを目指したからです。ここからスタ－トしました。
それは、自分の性格を知ること、人間関係スキルの獲得でもあり、今の物の見方、考え方の変更、行動修正です。
エニアグラム、交流分析、認知行動療法、話し方教室に通う、会社生活で役割を果たす。これらが回復のプロセスへの中心だったのです。
まさに、現実に即して回復の道のりを歩んだと思います。

では、過去を振り返った方がいいクライエントの方はおられるのでしょうか。
おられます。
それは過去に縛られている方は、過去を振り返った方がいいでしょう。
今に対応するエネルギ－が低下されている方。何でも自分に関連づけて考えてしまう方、分かってはいるけど動けない方。
これらの状態の方は有効と思います。

過去を振り返る効果の１つとして、自分が恐れていること、出来ないこと等の原因が本当に自分にあるのか確認出来ることがあげられます。

例えば対人不安の場合、その不安の原因が「自分は絶対拒否される」と思っている場合、なぜそう思っているのか過去にさかのぼり考えます。すると、そこには何をしても誉めない、要求ばかり続けていた親の姿が出てくる場合があります。

そうすると「自分は絶対に拒否される」この不安の根源は、過去親から何をしても認めてもらえず、愛してもらえなかった、子供時の悲しみ、不安、思いがあり、それが信念化されたことが分かるのです。
「自分は親に愛されるに値しない。拒絶される子」と、子供の時に自己決断を行い、信念を勝手に持ってしまったのです。

そして、この決断、信念を持ったまま人は成長しますと、大人になっても、「自分は絶対に拒否される」「自分は価値がない」「愛されるわけがない」と子供の頃決断をした信念を抱き続けてしまいます。また、この信念、思いがあるゆえに、実際に人とのかかわりが怖くて、人づきあいを避けてしまう傾向もあるのです。その結果分かってはいるけど、人からの拒絶が怖くて動けない、前へエネルギ－が向かない等心理、行動的問題が出てくるのです。

ここで大切なことは、自分の持っている信念は誰に教えてもらったかです。
それは、過去、子供時を振り返ることにより、自分を苦しめている信念、思いは自分のものではなく、誰か他の者（親等）からの刷り込みであることに気がつくことです。または、自分がその家庭で生き延びるためには、親からの愛を期待することは出来ず、自分を守るために、その信念を持ったのかもしれません。

まずは、自分の人生を苦しめている中核に過去を振り返ることにより気づくこと。

そして、本当はどうしてもらいたかったか。子供の時どのように親に接してもらいたかったか等。悲しみ、怒り等様々な感情の体験、今まで表現出来ず抑えていた感情を体験するのも１つかもしれません。
または、自分に生き辛さの責任はなかったと気づいた瞬間に楽になるかもしれません。

過去を振り返るのに一定のル－ルはありません。
人様々だと思います。

そして、過去を振り返り整理出来た後は、再度今の生き辛さの問題を（人間関係が築けないのなら、具体的にどのようにするか）考え、今を規準とした心の整理、適応のために行動化の促進を行う必要もあると思います。

アダルトチルドレンからの回復において、過去を振り返るということは、それが必要な人にとっては有効な手段であるのです。


      
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