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      <title>アダルトチルドレン悩み相談集</title>
      <link>http://www.ac-kaifuku.com/ac/</link>
      <description>心理カウンセラーによるアダルトチルドレンの生き辛さからの回復を目指して作られたサイトです</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>バンドに入ったもう１つの理由</title>
         <description>私は自分の仲間を求めてバンドに入りました。
（詳細は前記事をお読みください）。

しかし、私にはバンドに入った理由がもう１つあるのです。

それは自分の存在意義、アイディンティティの獲得です。
すなわち「自分とは～～な人間である」という存在証明が欲しかったのでした。

私は学生時、とくに大学では誰とも話すことなく、ずっと１人で過ごしてきました。
この行動・態度は学生時まったく問題ありませんでした。
しかし、会社ではそうはいきません。

私は会社入社当時、人との接し方が分からず、話も出来ず、何をどうして良いかも皆目見当がつかず、浮いた存在でした。

だから、会社においては自分の存在意義を感じることが出来なかったのです。

だからこそ会社以外の場で、自分が存在しても良い居場所、何か自分が活躍出来る場所を求めたのでした。

それがバンドだったのです。

私はバンドではキーボードを担当していました。
誰でもキーボードを弾くことは出来ないと思います。
ある程度のスキルが必要です。
子供時より嫌々ピアノを習わされていた私は、多少鍵盤楽器の演奏が出来たのでした。

そして、キーボードを弾ける私は、弾ける私ゆえに、人から必要とされ、皆の役に立ち、自分はバンドでキーボードを弾き担当しているのだと、自分の存在意義を確立したのでした。

良く書けばこのように表現出来ます。

しかし、悪く書くと、会社に適応出来ない役立たずが、他の場所で役に立とう、存在を認めてもらおうと悪戦苦闘していた。

でも、どちらでもいいのです。

私にとっては、２５歳にしてはじめて、音楽活動、バンド活動を通して、積極的に共同作業を行い、仲間を得ることができ、そこから「自分が人から必要とされている」という感覚を生まれてはじめて得たのですから。

それはそれで、私にとっては大変重要なことだったのです。

また、会社での自己存在の薄さに対するバランスを補うためにも、会社外にて、バンドのメンバー、すなわち仲間は必要だったのでした。

バンドについて２回に渡って書いてきました。

バンド活動で苦労したことがあります。
それは、私のリズム感が悪いことです。

リズムとは自然と体に刻まれ、体で覚える、感じるものでしょうが、クラシックピアノを弾いていたためか、またはアダルトチルドレン特有の、自分を抑圧、感じる心を封印してきたためか、リズムを体で感じて、覚えて、表現することが出来なかったのです。

テレビでアフリカの方々が、満面の笑みを浮かべて、音楽に合わせて飛んだり、はねたりされている光景を見られたことはあると思います。
あれも、リズムに合わせて、自分の生命力を表現されていると思うのです。

機能不全家族の影響、アダルトチルドレンである私は、生命力の発散を抑圧して育ってきたため、本能的にリズムを感じて、表現することが難しかったのでしょう。

リズム感が悪いのは、本能の代わりに、頭を使って生きてきた結果かもしれません。


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         <pubDate>Fri, 18 May 2012 09:22:38 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>人間関係を築くためにー１　バンドに入ったこと</title>
         <description>私はアダルトチルドレンとして親の養育の問題、機能不全家族の問題から、親と適切な人間関係を築くことが出来ず、その結果、周囲の人たちとも良好な人間関係を築くことが出来ませんでした。
社会の最小単位は家族です。
家族において適切な人間関係を築くことが出来ないと、より大きな集団においても人間関係は築けません。

それは、家族間において人間関係を築く能力、スキルを学んでいないからです。
その集大成でしょうか？
大学時はずって１人で過ごしていました。
そう方が楽でしたが、当然友達は出来ません。
ですから私は多くの大学生が味わう、楽しいキャンパスライフを経験していません。

さて、私が人間関係を築けなかった具体的な問題点としては、以下があげられます。

・人に対する不安と警戒心
・人とのコミュニケーションの仕方が分からない
・自分に対する自信がない

しかしこれらの問題を抱えながらも、私はそれでもどこかで、人と深くかかわりたい、仲間が欲しいという気持ちが強かったと思います。
（実際学生時、社会人のテニスサークルに入りましたが、やはり人間関係が分からず、早々に退散）。

この気持ちは会社入社以降強くなりました。

そして、私は仲間を求めることに決めたのです。
これは２４歳の時だったと思います。

では何をして仲間を求めるか？
バンドに入ってキーボードを担当しようと思ったのです。

私は幼児期より父親に嫌々ピアノをずっと習わされていました。
でもそのおかげで、ビアノは多少弾けます。
しかし、ピアノは多くの場合ソロ演奏です。
これでは仲間が出来ません。

したがって、何人かが集まって共同で作業出来るものとして、バンドに注目したのでした。

皆さんも歌番組等で、バンドの演奏を見たことはあると思います。

バンドは、１人１つの楽器を担当して共同で演奏しているのです。
すなわち、自分の演奏責任を果たすことにより、仲間に入れると思ったのです。
また、自分にしか出来ないキーボードを担当することにより、メンバーよりも尊重されると思ったのです。

そして音楽サークルの紹介で、ちょうどキーボードに欠員が出たバンドに加入することが出来ました。

私はバンドでキーボードを担当。
自分が出来ることを責任を持って担当することから、仲間を得たのでした。

コミュニケーションそのものからでは、人と分かち合うことが難しかった私は、１つの楽器を担当することで、仲間となり、そこからコミュニケーションをはかっていったのでした。

このバンドで２５歳～２８歳まで活動しました。

しかしバンドを継続することは力が要るものです。
土曜日の夜に練習をするのですが、車にキーボードを積んで、心斎橋まで練習に行って、夜中に帰って来る。

でも、人と共同作業をしたことがない私にとっては新鮮で貴重な３年間でした。

この経験は、私の成長にとって絶対不可欠であったと思います。

アダルトチルドレンからの回復を考えますと、自分の出来ることから積極的に取り組み、行動していくことは重要だと思います。

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         <pubDate>Sat, 12 May 2012 12:38:56 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>私の人間関係の問題</title>
         <description>私は会社に入社するまでの２３年間、ほとんど１人でいました。
１人と言いましても、社会生活はおくっていました。

すなわち学校には行っていました。
しかし、学校に行ってもほとんど（全く）人と話すことはありませんでした。
そして、１人でいる方が私にとっては楽でした。

とくに大学時は１人でいることが許される環境でした。
ですから大学に行って、授業を受けて、昼食を食べ、その後は図書室で寝る。
１人気楽に過ごしていました。
そして１人でいても誰からも批判されませんでした。

さて、人は人との関わりを通じて、人との接し方、話し方等を学習します。
しかし、学生時ずっと１人で過ごしていた私は、人との接し方、話し方は全く学習されておらず、その方法が分からないまま大学を卒業、親の縁故で就職したのでした。

そして入社と同時に、いきなり人と接する環境におかれました。
当時の私は人との接し方、コミュニケーションの方法が分からず、大変困惑しました。

入社当時を振り返りますと、大変辛い状態でした。
子供時より継続する顔の表情のない、話すこともなく、暗い雰囲気の青年でしたから。
職場では嫌われていたと思います。
そして、自分でもさっさと辞めたいと常に思っていました。
（しかし辞める勇気もなく、結局は１４年間勤務しましたが、余談ですが今考えると入社早々に辞めずに良かったと思っています。）

でも、どうして私は学生時から人と接することなく、１人で過ごしてきたのでしょうか？
私はこの状態を心理的ひきこもりと呼んでいます。
心理的ひきこもりとは何とか社会生活はおくっていますが、周囲の誰とも打ち解けない、心を開かない、集団のなかで１人ぼっちでいる状態を指します。

ではなぜ、私は誰とも話さない、心理的ひきこもりの人生を、人生の早期に選択したのでしょうか？

そう、私は感覚的に覚えています。
「誰とも話すものか」と決意したことを。

そして、「誰も自分の側に寄せ付けるものか」と決意したことを。

「近寄るな」・・・。

この誰もとは、最初は誰を対象としていたのでしょうか？
それは親です。

私は人生早期、小学生高学年時か中学生時に、親と話すことを諦めたのです。
そして、親が自分の側に近寄ることを禁じたのです。

それが親から自分を守るためでもあったのです。

私の父は過保護で、私をペットのような感覚で接してきました。
母は常に否定的、批判的、あら探しばかりです。

私はこの２人から、傷つけられることを避けるため、自分を守るため、親と接すること、話すことをやめたのです。
そして、同時に「近寄るな」の雰囲気を親に出しはじめたのです。

しかし残念なことに、この親と話さない、親を近寄らせまいという、行動・態度は成長と共に親以外にも対象が拡大して、周囲の人に対しても「近寄るな」と、やりはじめたのでした。

なぜ、そうなったのかはよく分かりません。

親から自分を守るために選択した行動・態度を、なぜか周囲の人に対しても、同じように行っていたのです。

とくに高校、大学時ははげしかったと思います。

こんな青年ですから当然友人は出来ませんでした。
大学４年間は校内においては誰とも口をきいていません。

しかし大学とは不思議なもので、それでもやっていけるのですね。
自分から距離を取れば、誰も近寄ることもなく、放っておいてくれるので、楽でした。

しかしこれは、会社では通用しなかったのです。
当然です。

したがって親から自分を守るために取ってきた行動や態度は社会では何の役にも立たず、自分に生き辛さをもたらすだけだったのです
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         <pubDate>Wed, 09 May 2012 14:43:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ありがとう</title>
         <description>実は私は子供時からアダルトチルドレンとは別の悩み、強迫性障害に苦しんでいました。

強迫性障害は自ら不安なこと、嫌なことを強く考えてしまい、それが実際に起るのではとその不安に悩み続ける症状です。

それだけ子供時不安を感じることが多々あったのでしょう。
そして、今では不安が友達のようになっている感覚さえあります。
要は平素より、無理にでも不安なことを考え、感じようとしているのです。
そしてその考えた、感じた不安に怯えるのです。
自分が勝手に作りだした不安に・・・。
私の強迫性障害にはこのような特徴があります。

さて、嫌なことを強迫的に強く考え、その不安に怯えるのであれば・・・。
それでは逆に、良いことを強迫的に考えれば、日々不安を感じないですむのではないか・・・。
強迫性障害からの脱却について、このように最近考えはじめています。

考え方、すなわち何を考えるかは、私たちの意思で選択しています。
嫌なことを考えるのも、良いことを考えるのも選択出来るのです。

もちろん長年の習慣から、嫌なことを瞬時に考えてしまうかもしれません。
でも、習慣を変えることは出来るはずです。

しかし問題は、良いことを考えるといっても、何を考えたらいいのか分からない。

そこで考えたことが、感謝、感謝、感謝。

何でもいいから強迫的に感謝するのです。

ありがとうと。

私は朝目が覚めたら
・目が覚めて、感謝。
・外が晴れていて、感謝。
・エアコンが動いて、感謝。
・布団が暖かくて、感謝。
・時計が動いていて、感謝。

もう、何でも、強迫的に感謝するのです。
感謝、ありがとうを考え続けていると、案外リラックスもします。
強迫的に感謝をしていますと、その結果不安なことを考える時間も減ってきます。

さて、余談ですが、カウンセリングをしている時に、クライエントの方から聞いた話しがあります。
とにかく「ありがとう」と何にでも感謝していると、不思議といいことが起こり出したと。

「ありがとう」の気持ちを持ち、それを伝えることは、アダルトチルドレンからの回復にも有効のような気がします。

何か良い出来事が起り、良い人と出会える。
そんな期待を感じます。

ありがとう。

いずれにせよ、この言葉には不思議な強いパワーがあると思います。
活用しましょう。
この力を。

決してマイナスに作用することはないと思いますよ。

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         <pubDate>Fri, 20 Apr 2012 08:59:20 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>呼吸とリラックス</title>
         <description>１０年程前の私は大変呼吸が浅く、寝不足等の次の日は、息を十分に吸うことが出来ず
話しをする時声が前に出ず、その結果話しても早口となり、話すことに大変辛い思いをしていました。

また呼吸が浅いため、気持ちがリラックスしておらず、緊張状態が続き、常にイライラしていたようにも思います。

では、いつから気持ちがリラックスしていなかったのでしょうか？
もうこれは、子供時からでしょう。

アダルトチルドレンの背景である機能不全家族という、自分の安全な居場所がない家庭にいますと、常に緊張状態であって当然です。
そして、心理的にひきこもっていた私は、家庭内において自分の気配を消すためにも、息を吸うことを控えていたのかもしれません。
これも、家庭内なおいて自分の気配を消した方が安全だったからでしょう。

今の私は以前に比べて呼吸はゆったりしています。
それだけ普段からリラックスが出来ているのでしょう。
正確に書くとリラックスを心がけています。

アダルトチルドレンは子供時の機能不全家族の問題から、家庭内に安全な自分の居場所がなく、常に不安感や過剰な警戒心より、緊張状態が続いていました。

ですから、成長した今でも、不安感や警戒心も強く、その結果緊張も継続しており、リラックス出来ないのです。

もちろん、不安や警戒心を解くためのカウンセリングも必要ですが、普段からリラックスを感じていることも必要なのです。

なぜなら、続く緊張状態は内臓にも影響を及ぼし、体の不調を招き、以前の私のように呼吸が浅くなり、声を出すこと、話すことにも、影響を及ぼすからです。
また、常にイライラしており、この状態も辛いものがあります。

さて、皆さんは自分なりのリラックス方法をお持ちですか？

緊張すると呼吸が早くなります。
でもありがたいことに、呼吸は私たちの意思で調整可能です。

ゆっくり息を吐いて、ゆっくり息を吸うのです。
呼吸を意識して・・・。
楽なペースで。
（但し過呼吸の方は実践しないでください）。

息を吐く時は嫌な気持ち、ネガティブな思いも一緒に吐き出し、息を吸う時は、心地良い感じ、楽しい感覚を吸い込むイメージをしてみましょう。

この時出来るだけ、楽な姿勢、ダラッと椅子に座ったり、寝ころんでいてもいいと思います。

心理学においては自律訓練法が有名ですが、自律訓練法にこだわることなく、自分に合ったリラックス法を用いましょう。

その他、リラックス方法としては
・お風呂に入る
・ヨガをする
・アロマ
・リラックス音楽を聞く
等々。

頭と体が休まること。
自分に合うリラックス方法を探してください。

そして、日々リラックス感を楽しみ、緊張から解き放れましょう。

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         <pubDate>Wed, 11 Apr 2012 15:27:04 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>家を出ることの大切さ</title>
         <description>親からの激しい果てしのない執着・・・

・あれをしろ、これをしろと続く要求
・あれをしてあげた、これをしてあげたと恩着せ
・顔を突き合わすたびに文句の連鎖
・心配、心配と不安を煽る
・どこまでも続く詮索

これらは、親からあなたへの執着心がもたらす行動です。
親に執着されますと、執着されている側は重たいのです。
執着に対して我慢しなければならず、またしょっちゅうぶつかっていると心が休まりません。

ですから、親から果てしない執着を受けている場合は、経済的に余裕があるのなら、物理的に距離を取った方がいいのです。

過去、私は一切親と話さないという方法で親と心理的に距離を取っていました。
しかし、親によっては勝手に部屋に入ってきたり、また顔を合わせるたびに要求や恩着せ、文句が続いたりと、部屋にこもって親と顔を合わさない方法も、親と同じ家に住んでいる以上限界があります。

そこで、家にいて心理的に距離を取ることが難しい場合は、家を出るという方法が、親の執着という攻撃をかわすために有効です。
これは物理的に距離を取るということであり、同時に心理的にも距離を取るということなのです。

但し問題は、経済的余裕があるかどうかです。
また、もう１つの問題は、家を出ることに対して、親に罪悪感を持っていないかどうかです。

親から激しい執着は、私たちに常に親を意識させ、親が気持ち良くあるため、親の期待を満たすため、親を悲しませないため等常に考えさせられ、それが続いた結果、いざ親と距離を取ろうと思った時、親の気持ちを乱すのでは、期待を裏切っているのでは、悲しませるのではと、罪の意識を感じるのです。

しかし、この罪悪感は親の激しい執着ゆえ、常に親を意識しなければならなくなった結果
の産物です。

すなわち親を常に意識するということは、親との心理的一体化を形成してしまい、その親と距離を取るということは、一体ではなくなるわけです。

そうなると親が悲しむ、親を悲しませていいのだろうか、自分は悪いことをしていないのだろうかと、罪の意識を勝手に抱いてしまうのです。

しかし、考えてみてください。
親との一体化、親を常に意識すること、親を背負っていたために私たちは辛かったのです。

その親とのはっきりした境界を設定することは、私たちが生きやすく、心理的に楽になるためには必要なことです。

私たちには私たちの人生があるのです。
私たちに罪悪感を抱かす親は、子供が子供の人生を生きることを許していないと思います。
どこまでも、いつまでも、子供に執着していたいのです。

でもこれは親のエゴです。

親のエゴに縛られ、私たちが自分の人生を失うことはおかしなことです。

家を出ることは自分と親との境界の設定であり、罪悪感を感じるとしたら、これは親から植え付けられた感覚・感情です。
相手にする必要はありません。

そして、家を出たあとに大切なこと。

それは容易に帰らないことです。
引っ越しをしたあとしばらくして、また一緒に暮らそうとは思わないことです。

一旦家を出て行った私たちは親との距離が取れて楽になりました。
だからもう帰っても大丈夫と思うかもしれません。

しかし親は変わっていないのです。
ですから引っ越しをして出て行った後、しばらくして帰ってしまうあと、また以前と同じく、親からの執着を受け、心のバランスを崩し、辛いことになりかねません。

変わらない親とは一緒に暮らさない方が楽なのです。
そして、年数回顔を見せに帰るぐらいでちょうどいいのではないでしょうか。
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         <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 22:32:30 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>父は本当の私を知らない？</title>
         <description>父は昨年（２０１０年）、７月１１日に亡くなりました。
病床に見舞いに行った時、父が私に話した内容で記憶に残っていることがあります。
それは「以前勤めていた会社で私がピアノを弾いたことがあり、その演奏が評判良かったこと」です。
そのことを父は嬉しそう？に話していました。
会社には父の縁故で入りましたので、父にも私のピアノの話しが伝わったのでしょう。

私は子供時父にピアノを習わされていました。
（私はピアノを嫌々習っていました）
父はサラリーマンで仕事から帰って来ると、２０時から私にピアノを教えることを日課としていました。
そのことが良かったといいたかったのでしょうか。
その時の思い出を良いものとして持っておきたかったのでしょうか。
私にとってピアノは苦痛以外何ものでもなかったのですが。
父は私とのかかわりのなかでピアノが一番大切な思い出なのでしょうか。
父のなかでは私に対する時間はとまっていたのでしょうか。
永遠の子供として。

振り返ると、父は成人した息子を未だ子供として感じていたように思います。
もちろん親からしたら子供は子供なのですが、私のことをかわいがる対象の子供としてずっと感じていたように思うのです。
成人した大人の息子としてではなくて。
小さい子供として。

私は心理カウンセラーです。
複数サイトを運営して、本も書いています。
父は私が心理カウンセラーということは知っていましたが、私がどう活躍しているかは知りませでした。
私も話さないから。

私は自分が心理カウンセラーとして仕事をしていることを誇りに思っています。
それは、自分が自分で人生を築いてきた証明でもあるからです。
でも、父はそういった私の想いや気持ちは知らなかったと思います。
これも、私が自分のことを話さなかったから・・・。

もしかしたら、父の中で私に対する時が止まっているとしたら、私が父と会話をしなかったからでしょうか。

よく分かりません。

息子は成長して男になります。
父とは男として向き合ったことは結局はなかったと感じています。
それがいいのか、悪いのか、判断はしません。

私は病室で意識のない父と目が合いました。
その時、父は私に手をのばして握手を求めてきました。
私もしっかりと父の手を握りました。

それが、最後のコンタクトでした。

私という人間の本質、本当の姿、伝わったでしょうか？

今となっては何も分かりません。

でも、伝わったと思ったら、伝わっているのかもしれません。


２０１１年６月１９日　第３日曜日
今日は父の日です。</description>
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         <pubDate>Sun, 19 Jun 2011 16:01:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>屈辱　失望</title>
         <description>ピアノ。
私は幼稚園の頃よりピアノを習っていましたが、子供時にピアノを弾いて楽しいと思ったことはなかったと思います。

そして、このピアノが私の人生を長年奪った元凶の１つです。
小学生の頃は嫌々ピアノの練習をしていました。
嫌なピアノを弾いていたのは、父が私にピアノを教えたがっていたから、その期待に応えるため、そのニーズを満たすためです。

しかし、いかに期待に応える、ニーズを満たすと言ってもやはり嫌なものは嫌なのです。
父の期待に沿うために嫌なピアノを弾くためには、ただ鍵盤を押さえ続けるロボットになる必要がありました。
すなわち意思や感情は邪魔なのです。
ただ、ひたすら鍵盤を押さえ続けるマシンになるのです。

したがって、この嫌々ピアノを弾いていた経験より、私は自分の思っていることを主張しない、また感情を封殺した表情のない暗い子供になってしまいました。

しかし、これだけではありません。

父は私をピアニストにしたかったようで、小学生低学年の頃には音大の助教授にピアノの指導を受けていました。
この先生は大変厳しい先生で、ピアノを楽しく教えるとかそういうものではありません。

なぜ、父のために嫌々ピアノを習い、また厳しい先生に指導して頂かなければならないのか、理不尽なことです。
そして当然私は嫌々ピアノを弾いていたので、上手にはなれません。
多少弾ける程度では当然ピアニストになれるわけがないのです。

ピアノのレッスンは隔週で日曜日に行っていたように思います。
また、土曜日は音楽教室に行き、聴音や何か楽しくもない勉強・実習をしていました。

ピアノのために土曜日、日曜日も奪われたのです。

そして嫌々弾いているピアノからの屈辱を経験しました。
たぶん屈辱か失望、そのような感覚を味わったと思います。

ピアノの先生はビアニストを養成を主とする先生でした。
しかし、私はピアノが嫌いでピアニストになる気持ちもありません。
ただ、父が弾けと言っているから弾いているにすぎません。

先生は私にピアニストになる素質はないと判断されたようです。
そして、その判断を証明するため、先生よりさらに偉い？先生の前で私はビアノを弾くことになりました。

偉い先生は私に対してピアニストは無理と判断されました。
そしてピアノを習っていた先生は、自分より若い先生に私を紹介しました。
先生はピアニスト養成ですから、素質のない生徒は要らないのです。
私は不要なのです。

結局私は・・・。
嫌々ピアノを習わされ弾き、楽しくもない厳しい先生の指導を受け、土曜日・日曜日もピアノに使い、偉い先生から素質なしの判断をされ、若い先生に回された。
屈辱、失望、やりきりなさ。
小学生ながら感じていたと思います。

その後土曜日の音楽教室はやめましたが、それでも父は私に「ピアノをやめてはいけない」と私にピアノを教え続けました。
これが中学２年まで続きました。

なぜ、父がピアノに執着したのかよく分かりません。
しかし私は、私がピアノをやめると言うと父が悲しくなるだろうと思い、ピアノを嫌々父のために弾き続けました。

「やめる」と言っても本当は良かったのでしょうが。
私は言えない子供でした。

そして、私の意思に関係のないところで、いろいろなことがクルクル回り、私はそれに振り回され、自分を失っていったのでした。

１つの例です。
自分の人生を生きていないとはこういうことなのです。
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         <pubDate>Sat, 12 Mar 2011 12:53:31 +0900</pubDate>
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         <title>思い出を探して</title>
         <description>父が亡くなり１ヵ月が経ちました。
私は子供時の思い出を探したいと思い、小学生の時に住んでいた京都市と向日市に行きました。

８月１７日、猛暑の真っただ中の火曜日。


１　京都市

阪急電鉄で四条河原町駅まで行く。
その後寺町商店街を北上。
京都市役所の付近に来ると、線香の香りが漂ってくる。
なつかしい香り。
私は幼稚園高学年から小学３年まで、京都市の市役所の近所に住んでいた。

子供時住んでいた場所に行く。
当時は社宅に住んでいたが、今はレストラン？に変わっていた。
しかし、お茶屋さんと自転車屋さんは今もある。
この町の波動はなつかしい。

その後公園に行く。
この公園では犬に追いかけられた思い出がある。
公園のベンチに座る。
昔を思い出してみる。
この公園にはプールがあったが、今はない。
水着のままプールに行って、そのまま家に帰って来た、そんな記憶がある。

それから京都御苑に行く。
大きな門をくぐる。セミのけたたましい鳴き声。
父と夏はセミとりに来た。
セミをとる瞬間のワクワクした気持ちは今も残っている。
そう、セミ取りは楽しかった。
夕立が降った記憶、休憩所があったはず。
今もあるが当時と違い綺麗だ。

胸が動く。
何を伝えたいのか。

再び、当時の家の近くへ。
白山神社。
小さな神社だ。
金魚すくいをした記憶がある。

そして当時通っていた小学校へ。
学校の名称は変わっている（知っていた）。
大きなイチョウの木。
今もある。
その後、通っていた幼稚園へ。
今はない。

町の雰囲気じたいはあまり変わっていない、しかし多くの建物が変わってしまっている。

しかし、昔ここで何をしていたのか。
この町に住んではいた。
確かに。
しかし住んでいた実感はあるのだが、今ひとつ記憶はない。

河原町通りに出る。
バス停がある。
そうだ、このバス停から行きたくもないビアノのレッスンに通った。
行ってみよう。
上堀川へ。

バス停で路線を見る。
上堀川へは「西賀茂車庫行き」を乗るのだ。
バスに乗る、嫌な感じ。
見覚えもあるような景色。
たぶん、ピアノに行く時の嫌な子供時の感覚が今の私にまだ残っているのだろう。

ピアノのレッスンは父と行っていた。
確かピアノの先生の近所に公園があった。
時間潰しに父と一緒にいた記憶がある。

上堀川にバスがついた。
目の前は大通り。
違う。
ここじゃない。
たぶんもう少し北だ。
何となく。

北へ歩く。
「西賀茂車庫行き」の次のバス停まで歩く。
そして、直近の信号を右に渡る。
直感だ。
そしてすぐに。

あった！！
あの公園だ。
石の舞台？があり。
ここで父と時間を過ごした。

ついでにピアノのＳ先生の家を探してみようと思った。
厳しい先生だったと思う。
嫌々やっていたピアノを厳しい先生に教えてもらっていたのだから、その嫌さは半端なものではなかっただろうと思う。
思うが感情の記憶はない。
結局Ｓ先生の家は分からない。

帰りはタクシーに乗り、京都市役所まで行く。
ピアノの帰り父とタクシーに乗った記憶がある。
外を見ると賀茂川だ。

思い出した。
父と賀茂川で魚取りをしたことがある。

その後遅い昼食を食べて向日市に行く。


２　向日市

阪急電鉄、西向日駅。
駅から降りたが、あまりいい気持ちではない。
この町には小学４年～６年までいた。

どちらかと言うと嫌な３年間。
なじめなかった。
今でも覚えている。
小学４年の始業式。
大勢の小学生が体育館？に集まった。
「ざわつき、秩序がなく、下品」を感じた。
京都市の小学校は１学年１クラスと生徒数も少なく、さわがしくもなかったが、
向日市の小学校は１クラス○クラスもあり、生徒の気質に違いがありすぎ私には馴染めなかったのだ。

とりあえず以前住んでいた会社の寮に行こうと思い、足を進める。
途中、長岡宮跡太極殿へ寄る。
ここで野球をした記憶がある。
楽しかったかどうかは不明。
草が結構茂っている。

墓場が多い。
こんなに墓場があったっけと思う。

そして寮は取り潰されていた。
寮の○階に住んでおり、京都の夜景が綺麗だった記憶は残っている。
とくに京都タワーは綺麗に見れた。

その後、東向日駅まで歩き。
帰る。


私は生きていた。
私は住んでいた。
確かにそこにいたのだ。
その実感はある。

ただ、記憶がない。
思い出として誰と何をしていたか。
そのヴィジョンがない。
甦らない。

でも、私はそこにいた。

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         <pubDate>Tue, 21 Dec 2010 16:19:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>消えた復讐心</title>
         <description>前回「親に対し今後一切何もしてやらない」と決断したことについて書かせて頂きました。

これは我慢の限界に達した怒りであると同時に、理不尽な親に対する私の復讐の決意であったと思います。
そしてその後私は親と会話をすることをやめました。
実際親に話しても何も理解してもらえないので、話すことを無駄と決めたのです。

この状態は小学生高学年より３７歳まで続きました。
しかし３７歳以降は年々親に対する怒りや復讐の気持ちは消えつつありました。

では、３７歳の時一体何があったのでしょうか。
この年は（２００２年）私が会社を退職した年です。

会社については学生時社会性欠如のため、どの会社からも内定が取れず、親の縁故で入社しました。
その後１４年間勤務しましたが仕事に対するやりがいを持つことが出来ず思い切って退職しました。

ではここで、退職を決意した時の魂の叫びと、見えた未来のヴィジョンについて書きたいと思います。

１　魂の叫び
今までずっと親の敷いたレールを歩んできた、価値観の押しつけ、ピアノ、この会社。
このまま親の敷いたレールを歩んでしまうと自分の人生を失ってしまう。これは自分の人生ではない。おかしい。自分の人生を生きるのだ。

２　見えた未来のヴィジョン
私は６５歳の初老です。会社を定年退職しました。そして親の墓を目の前にしています。
（当時両親は健在です）そして何と私はその墓を蹴り出したのです。
「人生泥棒」「人生を返せ」怒りです。
３７歳で会社を辞めることが出来なかった私は定年まで勤務。その結果人生を失ってしまったと、親に対する怒りで満ちあふれ親の墓を蹴飛ばしていたのでした。

私は「魂の叫び」に勇気づけられ、「未来のブィジョン」に驚愕（こんなことがあってはならない）し、２００２年６月末に退職したのでした。
もちろん退職後の進路は心理カウンセラーを目指すことです。

その後心理カウンセラーを目指して自分の人生を歩き出しました。
様々なことがありましたが、私は運よく開業カウンセラーとしてルームを運営し、今はカウンセラー養成講座も準備中です。
また本も「シンクロニシティに導かれて　会社を辞めて出会えた本当の自分」出版しました。

自分の人生、自分で決めて前進をする。
親の人生ではなくは自分を生きる。
自分が自分の人生を生きてこそ、アダルトチルドレンからの回復です。

会社退職時までのアダルトチルドレンの辛い体験、その後の自分の人生を創る旅、アダルトチルドレンの体験を活かして心理カウンセラーとして仕事をすることにより、過去に対するこだわり、親に対する復讐のような気持ちは消えていきました。

もはやどうでもいいやいう感じです。
過去を受け入れたのでしょう。


そして２０１０年７月。
父は天に召されました。
私は長男で喪主を務めました。

しかしもし私が３７歳の時に会社を辞めておらず、自分の人生を歩むことが出来ていなかったら、私は父に対する怒りから葬儀には出なかったかもしれません。
また入院中の父を見舞うこともなかったでしょう。

復讐です。

私は会社を辞めてから父と和解したわけではありません、ただ私のわだかまりが時とともに消えていったのです。
小学生高学年から会話らしい会話をしない親子でしたので、父が亡くなるまで会話はほとんどありませんでしたが・・・。

ただ、私の気持ちに父に対する怒りがなかったことだけは確かです。

私は父から暴言を吐かれたり、叩かれたり、虐待を受けたわけではありません。
ただ父は自分がよかれと思ったことを私に押し付け続けただけです。
それを受け入れることが私にとっては辛かった。
そして、押し付けられたことを我慢して受け続けたことから、人としての成長も遅れ、人間関係形成が困難な性格となり、年齢相当の社会性を身につけることが出来ませんでした。

でも、父は決して私を愛していなかったわけではなく。
・・・溺愛でした。

残念なことは父が私との距離の取り方をもう少し考えてくれていたらと思います。
あまりにも私に執着しすぎた、私の中に入り過ぎた、また１人の男として接することが出来なかった。

これさえなければ。
私も「親に対し今後一切何もしてやらない」と小学生高学年時に決断をすることもなく、もっと良好な親子関係が築けたと思います。

残念です。


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         <pubDate>Sun, 08 Aug 2010 13:20:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私が親に対して今後一切何もしてやらないと決めた時</title>
         <description>私は小学年の高学年より親とほとんど会話をしていないと思います。
そして以降親孝行らしいこともしていません。

なぜそうなったのでしょうか。
いろいろと考えますと、私は小学生の高学年の時に「親に対して今後一切何もしてやらない」と決めたように思えるのです。
（このことを最近思い出しました）。

私はアダルトチルドレンです。
機能不全家族のなかずっと生きてきました。
そして子供ながら親からの理不尽等ずっと我慢してきました。
（我慢してきた感情は強く残っていますが、実際に何をどう我慢してきたと振り返るとなかなか思い出せません。慢性的に嫌なことが続いていたのでやむを得ないと思います）。

今回は「親に対して今後一切何もしてやらない」と私が決意したきっかけを書きたいと思います。
これは我慢していた怒りが頂点に達した瞬間かもしれません。

1　母に対して
小学生高学年の時家庭科の授業でサンドイッチの作り方を実習で習いました。
そして私は早速母親等に習ったサンドイッチを食べてもらおうと思って家で作りました。
（当時はこんなに優しい気持ちがある子供だったのです）。

そして1～2時間程調理をして完成しました。
しかし母親は「そのまな板は汚れている。そのまな板で調理したものは食べられない」と言い放ったのです。
（私が調理で使ったまな板は除菌をしていなかったようです）

この言葉。
まったく思いやりがありません。
せっかく一生懸命作ったのに。
この言葉以降私は母に対して今後一切何もしてやらないと決めたのでした。

もちろんこの決意より以前に私に対する多々の批判、否定があったのですが、この言葉で私はキレたのでした。
我慢の限界だったのでしょう。

２　父に対して
私は幼稚園の時よりピアノを習っています。
これは父が私にピアノを教えたいから、その希望を叶えるために嫌々習っていました。
もちろん幼稚園の時はこの意識はなかったのですが、小学生高学年時には「ピアノは父のために習っている。本当はやめたいのだが父のために弾いている」という意識をはっきりと持っていました。

嫌々習っているのならやめれば良かったのですが、「ピアノをやめる」と言うと父が悲しむだろうと思いも嫌々何年も習っていました。

しかし小学生６年の時私がキレる事態が起こったのです。
当時父の勤務する会社の社宅に住んでいたのですが、マンションを購入しようということになりました。
そして父が一言、言いました。
「こいつのピアノがあるからあまり遠くには引っ越せないなぁ」
（これは今住んでいる所より遠くに引っ越すとピアノの先生をかえないといけないいう意味です）。
この父の言葉を聞いた私はキレました。
「お前のためのピアノやろが」
（言いはしませんでしたが鮮明に記憶しています）。

この時私は父に対してこの男の無理解さにキレて、以降何もしてやらないと決意したのでした。
父のために嫌々何年もピアノを習っているという私の感情を無視された怒りです。
日々自分の嫌という感情を抑えてピアノを習っていた怒りが頂点に達したのです。

それに私は人生を父に差し出したのです。
これ以上の親孝行はないでしょう。
だからもう何もしない。
子供ながらに思いました。


※小学生高学年。
私は親に対して今後一切何もしてやらないと決断したのです。
これ以降、親と会話することをやめたと思います。
言っても無駄という諦めと怒りです。
（ただしこれ以前の親との記憶もほとんどないのですが）

そして私のこの決断が解除されるのは、これより２５年以上先のことになるのです。
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         <pubDate>Thu, 05 Aug 2010 11:18:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>家</title>
         <description>皆さんは家と聞いて何を思い浮かべますか？

ＨＯＮＥ、ふるさと、実家、帰る場所、居場所・・・。

何か心暖かい気持ちになりますか？

さて、アダルトチルドレンは事情が違います。
（家とは子供時から住んでいる、または住んでいた家を示します）。

家とは、生き辛さを感じた空間であり、閉塞感漂う箱のようなものです。
　
〇家で両親と暮らしている場合は次のような生き辛さを感じます。

子供時より続く親との軋轢、問題。
未だに解決することなく家ではどんよりした気持、怒り、悲しみを抱いて生活をしています。
家は安全で暖かなものではなく、行くあてがないのでしかたなく暮らす空間なのです。

もちろん経済的に自立していれば出ていくことも可能ですが、自立していない場合は、心の平穏はないけれど、そこに住まざるをえない。

そして、彼らの心の安全は部屋の中にしかありません。
しかし、あまりにも家の中が生き辛いものですと、部屋にいても気持ちが晴れず、部屋でもぼんやりとしてしまい、やる気も起らず生気を吸い取られてしまう。
ただただ時間が無駄にその秒針を刻む。
このような感じを抱く時も多々あるのです。

外から帰ってきて、家、部屋に入った瞬間、重たいものがのしかかってくるのです。


〇次は自立している（経済的自立をして家から離れて暮らしている、もしくは結婚して家から離れて暮らしている）場合です。

家（実家）で過ごした年月にはあまり良い思い出がありません。
むしろ辛かった。

したがって、家に帰るということは安心した自分の空間（自分が今暮らしている家）から、過去の生き辛かった空間に入るということなのです。

親は以前より年老い丸くなっているかもしれません、もしくは以前よりもますますパワフルに自分に固執しているかもしれません。

いずれにせよ、家が近づくにつれ足取りも重く、気持ちも重たくなっていきます。
そして、家に一歩踏み込んだ瞬間あの何ともいえない、どんよりとした空気を一瞬にして感じ、気持ちがさらに重たくなってしまうのです。

そして、親が以前と変わっていない場合は、親との対応から心の葛藤を感じながらも、そこで幾時を過ごし、心身疲れ果て自分の家に帰って行くのです。
人によっては自分の家に帰ってから体調不良でしばらく寝込んでしまう方もおられます。

しかし、なぜここまでの思いをして、家に帰るのでしょうか。

そこには「親孝行」「親子だから」「親を安心させたい」等、親への配慮があります。
生き辛さを与え続けた親、そしてその象徴である家。
それでも、親を思い家に帰る人々は立派なのでしょうか。

人によっては「親子の縁を切りました」「せいせいしました」という方もおられます。

どちらが正しく、悪いとも言えません。

家、そこに住む親、親子の問題は根深いのです。
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         <pubDate>Sun, 18 Apr 2010 14:45:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>回復のスタート　安全な居場所の確保</title>
         <description>アダルトチルドレン、生き辛さからの回復のために最も重要なこと。
それは安全な居場所の確保です。
安全な居場所とは、心が安定していることが出来る、居場所ということです。

そして安全とは今自分の生き辛さを招いているその事象、事態より遠ざかることでもあります。
しかし、この自分の生き辛さを招いている事象、事態もその原因により２つに別れます。

１つはその原因が外部からの侵入によるもの、もう１つは自分の反応によるものです。
今回の安全な居場所の確保については外部からの侵入により、心の安定が脅かされることについて書きたいと思います。

しかしその前に、自分の反応により生き辛さを感じていることについて簡単に書きます。
例えば職場での人間関係に悩んでいる人がいます。職場の人は皆いい人ばかりなのですが、悩んでいる本人に対人不安の傾向がある場合です。
職場の人に見られているということに対して不安を感じる、または大勢の人がいるということに対して不安を感じる、これらは自分が環境に勝手に反応して、職場が安全な居場所ではなくなるのです。
これは自分の反応の問題です。

さて、本題です。
外部からの侵入により心の安定を脅かされるとはどのような場合でしょうか。
例えば親子関係の悩みです。
常に親から過干渉があり、子供が家に帰ってくれば都度干渉が始まります。
干渉だけならまだいいのですが、否定、暴言が混じってきますと、聞いている方はたまりません。
この場合子供に経済力があれば別居して、親からの干渉、否定、暴言から逃れ、自分の心の安定が確保出来る場所を持つことは大切だと思います。
アダルトチルドレンからの生き辛さの回復には、自分創りが欠かせません。
安全な場所に自分がいることが回復へにのスタートなのです。
なぜなら心の安定が図れない場所では、心の回復は図れないからです。
日々外部からの侵入がありますと、それにより日々ストレスを感じます。
不要なストレスを感じる状態では心の回復は難しいでしょう。

ですから、外部からの侵入により心が安全な居場所が確保出来ない場合は、まず安全な居場所の確保が大切なのです。

この安全な居場所の確保については、例えばＤＶの相手と別れる、社内のパワハラ上司と距離を置く等、外部の人間の行為により悩み苦しむ場合はすべて侵入者から離れることが何よりも大切です。（離れるということは相手にその行為をやめさせることも含みます）。
そうしないとこちらがおかしくなるのです。

さて、この外部からの侵入の脅威に関することで難しい問題があります。
それは子供からの侵入です。
子供といっても幼児ですが・・・。
この悩みは若い母親に多いと思われます。
すなわち子供がしたい放題して母親の言うことを聞きません、この場合母親からすると子供がコントロール不能の脅威の対象となるのです。
もちろんすべての母親がこのような感覚を持っているわけではありません。

しかし母親によっては子供をコントロールしようと強く子供を叱りつけたり、萎縮させたりと、子供に対する感情のコントロールが出来ない問題で悩んでいる方もおられます。
私は子供がいないので、このテーマのカウンセリング今は受けないことにしていますが・・・。
以前受けていた時の母親のお話しを伺うと、やはり母親自身の親子関係に大きな問題があるようです。

例えば親から常にこうあるべきと支配的に育てられた場合は「子供に対しても行儀よくあるべき」と強く思ってしまったり、または綺麗にしている部屋を汚されことに恐怖を感じたりと・・・。
または静かにしていたいのに、うるさく騒ぐ子供に邪魔をするなと切れるのかもしれません。

しかし、子供とはそもそも自分勝手で親の都合など考えずに元気に活動するものですから、母親がそれを脅威と思ってもどうしようもないことなのです。
子供相手では親が安全な居場所の確保等出来そうもありません。
そして、この脅威者に対して感情のコントロールが効かない問題は、子供と一緒に暮らす限りはなかなか解決が難しいようです。
（子供に対するコントロールが効かず子供に切れ、遠慮なく侵入してくる子供に憎しみを抱く場合もあり、または子供を強く叱った自分に嫌悪感を抱き、子供に対して罪悪感を抱く、そしてこの悩みがぐるぐると日々連鎖するパターンに陥ってしまうのです）。

したがって、アダルトチルドレンと思われる方は結婚して子供が生まれる前にカウンセリング等受け、自分を癒す必要があるのではないでしょうか。

結局親が子供に対して感情のコントロールが効かない問題は、子供がそのために生き辛さを抱えてしまう結果を招くのですから。

世代間連鎖の恐怖です。
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         <pubDate>Fri, 18 Dec 2009 20:21:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>インナーチャイルドとは</title>
         <description>インナートャイルドという言葉聞かれたことはありますか？

私もカウンリンングにおいてインナーチャイルドという言葉を使う時があります。
インナーチャイルド。
訳すと自分の中の子ども。
実体はあるのでしょうか。

さてインナーチャイルドという言葉は心理カウンセリング以上にヒプノセラピーで使われているように感じます。

私が以前ヒプノセラピーでインナーチャイルドセラピーを受けた時のことです。
これはイメージのなかでインナーチャイルド（子ども時代の自分）と出会い、インナーチャイルドを自由にさせる（解放させる）作業のようでした。

私も自分のインナーチャイルドと出会い、セラピストの言葉に従ってインナーチャイルドを連れて外に出かけました。
森を通って、山の上（下は渓谷）のようなところにつき、一緒に下を見ました。

インナーチャイルドセラピーはイメージワークですので、イメージの中でインナーチャイルドが自由に好きに振舞うことから、癒しへとつながるのでしょうか。

残念ながらヒプノセラピーは１回しか受けませんでしたので、その効果は体感出来ませんでした。
しかし、イメージの中に自分の子どもがいることも事実でした。

さて、インナーチャイルドを自由にさせると書きましたが、するとインナーチャイルドはそもそも自由ではないのでしょうか。
人によっては自由なインナーチャイルドもいるのでしょうか。

自由、自由でない。
言葉を変えると健全なインナーチャイルドと不健全なインナーチャイルドがいるのでしょうか。

そもそもインナーチャイルドとはチャイルド（子ども）のことです。
子どもに健全、不健全があるのでしょうか。

私はあると思います。

これは心が健全か不健全かなのです。
では、健全、不健全とは何でしょうか。

生まれたばかりの赤ん坊の心は自由で澄んでいると私は思っています。
しかし、その心も親や養育者の影響、生育歴の影響により、縛られ、自由を奪われるのような感じがします。

では、心理カウンセリングにおけるインナーチャイルドとは何でしょうか。

私が思うインナーチャイルドについて書かせていただきます。
インナーチャイルドとは子ども時より培った、自分や周囲、人生に対する思い込みのような気がします。
そして、その子ども時に得た思い込みに縛られ続けているから、私たちは生き辛さを感じてしまうのです。

１　自分に対する思い込み
・私は愛される価値がない
・頑張り続けないと私は生きていけない
・私は不要

２　他者に対する思い込み
・競争に負けてはならない
・周りはいつも私のことをあざ笑っている
・人の頼みは断ってはならない

３　人生に対する思い込み
・お金がないと生きていけない
・成功しなければならない
・結婚は苦しみしかもたらさない


皆さんはこれらの思い込みに縛られ生きている人についてどのように感じられますか。
もしこれらの思い込みがなければ、人生どんなに楽でしょうか。
自由に感じ、自由に振舞い、生きていけます。

ヒプノセラピーでは、イメージにおけるインナーチャイルドがしたいように行動することにより。思い込み（その前提である親や養育者との葛藤、心の傷等含む）からの解放を図るものではないでしょうか（好きにしてもいいんだよというメッセージも含めて）。

それに対して心理カウンセリングのインナーチャイルドとはイメージ以上に言語により、親子関係、生育歴、心の自由を縛る思い込みや、過去の傷に話して頂き、必要であればその思い込みに対してどう対応するか言語により話し合い、思い込みからの解放を目指します。

イメージを主に用いるのか、言語を主に用いるのかによって、アプローチは変わってきますが、目指すことは共に心の自由なのです。

健全なインナーチャイルドとは自由な心であり、それは遊び心、楽しむ心、創造の心ではないでしょうか。

そして、生きていることを実感できる心ではないかと思います。
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         <pubDate>Mon, 14 Sep 2009 21:39:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アダルトチルドレンは結婚をしても良いが、子供を持つべきではないのか？</title>
         <description>「アダルトチルドレンは結婚をしても良いが、子供を持つべきではない」という意見を聞く時があります。

これは妥当な意見なのでしょうか。

私は半分妥当、半分妥当性はないと思っています。

ではなぜアダルトチルドレンは子供を持つべきではないと言われるのでしょうか？

それはアダルトチルドレンが機能不全家族の出であり、良き親のモデルを学習していないからではないでしょうか。

私たちは知っていることしか伝えることが出来ません。
機能不全家族の親の行動パターンのみしか知らないとなると、自分が親になり子供を持っても、生き辛さを与えた親と同じ行動、子育てを自分の子供にしてしまう可能性が高いのです。

この意味においては、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見は妥当かもしれません。
要は自分の親と同じことを、子育てを通して子供にしてしまい、子供に生き辛さを伝播させないために、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見があるのでしょう。

確かに知っていることしか伝えられない私たちにとってはそうなのでしょう。
しかし、知っていることとは、自分の直接経験したことのみではありません。
学習により知ることも出来るのです。

アダルトチルドレンが親の機能不全の子育てを経験して生き辛さを抱えていたとしても、家庭の形成、子育て、家族について学び、学習をして、自分なりの理想を持てばいいのではないでしょうか。
俗に言う、親業を学ぶということです。

新しく学習することにより、家族、子育てについて、自分なりの理想やモデルを持てたとすれば、アダルトチルドレンが子供を持ってもまったく問題はないと思います。

この意味において、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見については、妥当性がないと思います。

アダルトチルドレンが親になる際に大切なことは、自分は機能不全家族の出であり、親の養育問題より自分は生き辛さを抱えているということをまず認識していることです。
そして、自分の人生を振り返り、生き辛さの原因を知り、子育てについても学習することなのです。


さて、ここまではアダルトチルドレンの一般論について書いてきました。
ここからは私について書きたいと思います。

私はまだ独身ですが、実は私は家族団欒という言葉のイメージが出来ないのです。

家族団欒とは何でしょうか？

正直、私には分かりません。
おそらく家族団欒とは家族揃って食事をして、話しをして、その雰囲気を楽しむことではないかと思うのですが・・・。
残念ながら私にはその経験がないから分からないのです。

おそらく子供時には家族団欒の経験はあったのでしょうが、思い出せません。
私が家族関係で思い出されるのは、1人で部屋で過ごす時間が多かったということです。
1人部屋で何をしていたかと振り返りますと、これも思い出せません。

私は子供時何をしていたのでしょうか？

さて、家族団欒に話しを戻します。
先に書きましたように、私には家族団欒のイメージが出来ません。
それ以上にこの言葉には違和感を感じてしまいます。
ということは、私にとって家族とは苦痛の種だったのでしょう。

揃っても楽しいこともなく（本当はあったのでしょうが）、安心出来る居場所ではなかったのでしょう。

そして今後の私の課題としては、仮に結婚をするのであれば、家族について理想を考える必要もあるのかなと思っています。
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         <pubDate>Thu, 28 May 2009 21:39:02 +0900</pubDate>
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