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      <title>アダルトチルドレン悩み相談集</title>
      <link>http://www.ac-kaifuku.com/ac/</link>
      <description>心理カウンセラーによるアダルトチルドレンの生き辛さからの回復を目指して作られたサイトです</description>
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         <title>家を出ることの大切さ</title>
         <description>親からの激しい果てしのない執着・・・

・あれをしろ、これをしろと続く要求
・あれをしてあげた、これをしてあげたと恩着せ
・顔を突き合わすたびに文句の連鎖
・心配、心配と不安を煽る
・どこまでも続く詮索

これらは、親からあなたへの執着心がもたらす行動です。
親に執着されますと、執着されている側は重たいのです。
執着に対して我慢しなければならず、またしょっちゅうぶつかっていると心が休まりません。

ですから、親から果てしない執着を受けている場合は、経済的に余裕があるのなら、物理的に距離を取った方がいいのです。

過去、私は一切親と話さないという方法で親と心理的に距離を取っていました。
しかし、親によっては勝手に部屋に入ってきたり、また顔を合わせるたびに要求や恩着せ、文句が続いたりと、部屋にこもって親と顔を合わさない方法も、親と同じ家に住んでいる以上限界があります。

そこで、家にいて心理的に距離を取ることが難しい場合は、家を出るという方法が、親の執着という攻撃をかわすために有効です。
これは物理的に距離を取るということであり、同時に心理的にも距離を取るということなのです。

但し問題は、経済的余裕があるかどうかです。
また、もう１つの問題は、家を出ることに対して、親に罪悪感を持っていないかどうかです。

親から激しい執着は、私たちに常に親を意識させ、親が気持ち良くあるため、親の期待を満たすため、親を悲しませないため等常に考えさせられ、それが続いた結果、いざ親と距離を取ろうと思った時、親の気持ちを乱すのでは、期待を裏切っているのでは、悲しませるのではと、罪の意識を感じるのです。

しかし、この罪悪感は親の激しい執着ゆえ、常に親を意識しなければならなくなった結果
の産物です。

すなわち親を常に意識するということは、親との心理的一体化を形成してしまい、その親と距離を取るということは、一体ではなくなるわけです。

そうなると親が悲しむ、親を悲しませていいのだろうか、自分は悪いことをしていないのだろうかと、罪の意識を勝手に抱いてしまうのです。

しかし、考えてみてください。
親との一体化、親を常に意識すること、親を背負っていたために私たちは辛かったのです。

その親とのはっきりした境界を設定することは、私たちが生きやすく、心理的に楽になるためには必要なことです。

私たちには私たちの人生があるのです。
私たちに罪悪感を抱かす親は、子供が子供の人生を生きることを許していないと思います。
どこまでも、いつまでも、子供に執着していたいのです。

でもこれは親のエゴです。

親のエゴに縛られ、私たちが自分の人生を失うことはおかしなことです。

家を出ることは自分と親との境界の設定であり、罪悪感を感じるとしたら、これは親から植え付けられた感覚・感情です。
相手にする必要はありません。

そして、家を出たあとに大切なこと。

それは容易に帰らないことです。
引っ越しをしたあとしばらくして、また一緒に暮らそうとは思わないことです。

一旦家を出て行った私たちは親との距離が取れて楽になりました。
だからもう帰っても大丈夫と思うかもしれません。

しかし親は変わっていないのです。
ですから引っ越しをして出て行った後、しばらくして帰ってしまうあと、また以前と同じく、親からの執着を受け、心のバランスを崩し、辛いことになりかねません。

変わらない親とは一緒に暮らさない方が楽なのです。
そして、年数回顔を見せに帰るぐらいでちょうどいいのではないでしょうか。
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         <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 22:32:30 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>父は本当の私を知らない？</title>
         <description>父は昨年（２０１０年）、７月１１日に亡くなりました。
病床に見舞いに行った時、父が私に話した内容で記憶に残っていることがあります。
それは「以前勤めていた会社で私がピアノを弾いたことがあり、その演奏が評判良かったこと」です。
そのことを父は嬉しそう？に話していました。
会社には父の縁故で入りましたので、父にも私のピアノの話しが伝わったのでしょう。

私は子供時父にピアノを習わされていました。
（私はピアノを嫌々習っていました）
父はサラリーマンで仕事から帰って来ると、２０時から私にピアノを教えることを日課としていました。
そのことが良かったといいたかったのでしょうか。
その時の思い出を良いものとして持っておきたかったのでしょうか。
私にとってピアノは苦痛以外何ものでもなかったのですが。
父は私とのかかわりのなかでピアノが一番大切な思い出なのでしょうか。
父のなかでは私に対する時間はとまっていたのでしょうか。
永遠の子供として。

振り返ると、父は成人した息子を未だ子供として感じていたように思います。
もちろん親からしたら子供は子供なのですが、私のことをかわいがる対象の子供としてずっと感じていたように思うのです。
成人した大人の息子としてではなくて。
小さい子供として。

私は心理カウンセラーです。
複数サイトを運営して、本も書いています。
父は私が心理カウンセラーということは知っていましたが、私がどう活躍しているかは知りませでした。
私も話さないから。

私は自分が心理カウンセラーとして仕事をしていることを誇りに思っています。
それは、自分が自分で人生を築いてきた証明でもあるからです。
でも、父はそういった私の想いや気持ちは知らなかったと思います。
これも、私が自分のことを話さなかったから・・・。

もしかしたら、父の中で私に対する時が止まっているとしたら、私が父と会話をしなかったからでしょうか。

よく分かりません。

息子は成長して男になります。
父とは男として向き合ったことは結局はなかったと感じています。
それがいいのか、悪いのか、判断はしません。

私は病室で意識のない父と目が合いました。
その時、父は私に手をのばして握手を求めてきました。
私もしっかりと父の手を握りました。

それが、最後のコンタクトでした。

私という人間の本質、本当の姿、伝わったでしょうか？

今となっては何も分かりません。

でも、伝わったと思ったら、伝わっているのかもしれません。


２０１１年６月１９日　第３日曜日
今日は父の日です。</description>
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         <pubDate>Sun, 19 Jun 2011 16:01:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>屈辱　失望</title>
         <description>ピアノ。
私は幼稚園の頃よりピアノを習っていましたが、子供時にピアノを弾いて楽しいと思ったことはなかったと思います。

そして、このピアノが私の人生を長年奪った元凶の１つです。
小学生の頃は嫌々ピアノの練習をしていました。
嫌なピアノを弾いていたのは、父が私にピアノを教えたがっていたから、その期待に応えるため、そのニーズを満たすためです。

しかし、いかに期待に応える、ニーズを満たすと言ってもやはり嫌なものは嫌なのです。
父の期待に沿うために嫌なピアノを弾くためには、ただ鍵盤を押さえ続けるロボットになる必要がありました。
すなわち意思や感情は邪魔なのです。
ただ、ひたすら鍵盤を押さえ続けるマシンになるのです。

したがって、この嫌々ピアノを弾いていた経験より、私は自分の思っていることを主張しない、また感情を封殺した表情のない暗い子供になってしまいました。

しかし、これだけではありません。

父は私をピアニストにしたかったようで、小学生低学年の頃には音大の助教授にピアノの指導を受けていました。
この先生は大変厳しい先生で、ピアノを楽しく教えるとかそういうものではありません。

なぜ、父のために嫌々ピアノを習い、また厳しい先生に指導して頂かなければならないのか、理不尽なことです。
そして当然私は嫌々ピアノを弾いていたので、上手にはなれません。
多少弾ける程度では当然ピアニストになれるわけがないのです。

ピアノのレッスンは隔週で日曜日に行っていたように思います。
また、土曜日は音楽教室に行き、聴音や何か楽しくもない勉強・実習をしていました。

ピアノのために土曜日、日曜日も奪われたのです。

そして嫌々弾いているピアノからの屈辱を経験しました。
たぶん屈辱か失望、そのような感覚を味わったと思います。

ピアノの先生はビアニストを養成を主とする先生でした。
しかし、私はピアノが嫌いでピアニストになる気持ちもありません。
ただ、父が弾けと言っているから弾いているにすぎません。

先生は私にピアニストになる素質はないと判断されたようです。
そして、その判断を証明するため、先生よりさらに偉い？先生の前で私はビアノを弾くことになりました。

偉い先生は私に対してピアニストは無理と判断されました。
そしてピアノを習っていた先生は、自分より若い先生に私を紹介しました。
先生はピアニスト養成ですから、素質のない生徒は要らないのです。
私は不要なのです。

結局私は・・・。
嫌々ピアノを習わされ弾き、楽しくもない厳しい先生の指導を受け、土曜日・日曜日もピアノに使い、偉い先生から素質なしの判断をされ、若い先生に回された。
屈辱、失望、やりきりなさ。
小学生ながら感じていたと思います。

その後土曜日の音楽教室はやめましたが、それでも父は私に「ピアノをやめてはいけない」と私にピアノを教え続けました。
これが中学２年まで続きました。

なぜ、父がピアノに執着したのかよく分かりません。
しかし私は、私がピアノをやめると言うと父が悲しくなるだろうと思い、ピアノを嫌々父のために弾き続けました。

「やめる」と言っても本当は良かったのでしょうが。
私は言えない子供でした。

そして、私の意思に関係のないところで、いろいろなことがクルクル回り、私はそれに振り回され、自分を失っていったのでした。

１つの例です。
自分の人生を生きていないとはこういうことなのです。
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         <pubDate>Sat, 12 Mar 2011 12:53:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>思い出を探して</title>
         <description>父が亡くなり１ヵ月が経ちました。
私は子供時の思い出を探したいと思い、小学生の時に住んでいた京都市と向日市に行きました。

８月１７日、猛暑の真っただ中の火曜日。


１　京都市

阪急電鉄で四条河原町駅まで行く。
その後寺町商店街を北上。
京都市役所の付近に来ると、線香の香りが漂ってくる。
なつかしい香り。
私は幼稚園高学年から小学３年まで、京都市の市役所の近所に住んでいた。

子供時住んでいた場所に行く。
当時は社宅に住んでいたが、今はレストラン？に変わっていた。
しかし、お茶屋さんと自転車屋さんは今もある。
この町の波動はなつかしい。

その後公園に行く。
この公園では犬に追いかけられた思い出がある。
公園のベンチに座る。
昔を思い出してみる。
この公園にはプールがあったが、今はない。
水着のままプールに行って、そのまま家に帰って来た、そんな記憶がある。

それから京都御苑に行く。
大きな門をくぐる。セミのけたたましい鳴き声。
父と夏はセミとりに来た。
セミをとる瞬間のワクワクした気持ちは今も残っている。
そう、セミ取りは楽しかった。
夕立が降った記憶、休憩所があったはず。
今もあるが当時と違い綺麗だ。

胸が動く。
何を伝えたいのか。

再び、当時の家の近くへ。
白山神社。
小さな神社だ。
金魚すくいをした記憶がある。

そして当時通っていた小学校へ。
学校の名称は変わっている（知っていた）。
大きなイチョウの木。
今もある。
その後、通っていた幼稚園へ。
今はない。

町の雰囲気じたいはあまり変わっていない、しかし多くの建物が変わってしまっている。

しかし、昔ここで何をしていたのか。
この町に住んではいた。
確かに。
しかし住んでいた実感はあるのだが、今ひとつ記憶はない。

河原町通りに出る。
バス停がある。
そうだ、このバス停から行きたくもないビアノのレッスンに通った。
行ってみよう。
上堀川へ。

バス停で路線を見る。
上堀川へは「西賀茂車庫行き」を乗るのだ。
バスに乗る、嫌な感じ。
見覚えもあるような景色。
たぶん、ピアノに行く時の嫌な子供時の感覚が今の私にまだ残っているのだろう。

ピアノのレッスンは父と行っていた。
確かピアノの先生の近所に公園があった。
時間潰しに父と一緒にいた記憶がある。

上堀川にバスがついた。
目の前は大通り。
違う。
ここじゃない。
たぶんもう少し北だ。
何となく。

北へ歩く。
「西賀茂車庫行き」の次のバス停まで歩く。
そして、直近の信号を右に渡る。
直感だ。
そしてすぐに。

あった！！
あの公園だ。
石の舞台？があり。
ここで父と時間を過ごした。

ついでにピアノのＳ先生の家を探してみようと思った。
厳しい先生だったと思う。
嫌々やっていたピアノを厳しい先生に教えてもらっていたのだから、その嫌さは半端なものではなかっただろうと思う。
思うが感情の記憶はない。
結局Ｓ先生の家は分からない。

帰りはタクシーに乗り、京都市役所まで行く。
ピアノの帰り父とタクシーに乗った記憶がある。
外を見ると賀茂川だ。

思い出した。
父と賀茂川で魚取りをしたことがある。

その後遅い昼食を食べて向日市に行く。


２　向日市

阪急電鉄、西向日駅。
駅から降りたが、あまりいい気持ちではない。
この町には小学４年～６年までいた。

どちらかと言うと嫌な３年間。
なじめなかった。
今でも覚えている。
小学４年の始業式。
大勢の小学生が体育館？に集まった。
「ざわつき、秩序がなく、下品」を感じた。
京都市の小学校は１学年１クラスと生徒数も少なく、さわがしくもなかったが、
向日市の小学校は１クラス○クラスもあり、生徒の気質に違いがありすぎ私には馴染めなかったのだ。

とりあえず以前住んでいた会社の寮に行こうと思い、足を進める。
途中、長岡宮跡太極殿へ寄る。
ここで野球をした記憶がある。
楽しかったかどうかは不明。
草が結構茂っている。

墓場が多い。
こんなに墓場があったっけと思う。

そして寮は取り潰されていた。
寮の○階に住んでおり、京都の夜景が綺麗だった記憶は残っている。
とくに京都タワーは綺麗に見れた。

その後、東向日駅まで歩き。
帰る。


私は生きていた。
私は住んでいた。
確かにそこにいたのだ。
その実感はある。

ただ、記憶がない。
思い出として誰と何をしていたか。
そのヴィジョンがない。
甦らない。

でも、私はそこにいた。

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         <pubDate>Tue, 21 Dec 2010 16:19:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>消えた復讐心</title>
         <description>前回「親に対し今後一切何もしてやらない」と決断したことについて書かせて頂きました。

これは我慢の限界に達した怒りであると同時に、理不尽な親に対する私の復讐の決意であったと思います。
そしてその後私は親と会話をすることをやめました。
実際親に話しても何も理解してもらえないので、話すことを無駄と決めたのです。

この状態は小学生高学年より３７歳まで続きました。
しかし３７歳以降は年々親に対する怒りや復讐の気持ちは消えつつありました。

では、３７歳の時一体何があったのでしょうか。
この年は（２００２年）私が会社を退職した年です。

会社については学生時社会性欠如のため、どの会社からも内定が取れず、親の縁故で入社しました。
その後１４年間勤務しましたが仕事に対するやりがいを持つことが出来ず思い切って退職しました。

ではここで、退職を決意した時の魂の叫びと、見えた未来のヴィジョンについて書きたいと思います。

１　魂の叫び
今までずっと親の敷いたレールを歩んできた、価値観の押しつけ、ピアノ、この会社。
このまま親の敷いたレールを歩んでしまうと自分の人生を失ってしまう。これは自分の人生ではない。おかしい。自分の人生を生きるのだ。

２　見えた未来のヴィジョン
私は６５歳の初老です。会社を定年退職しました。そして親の墓を目の前にしています。
（当時両親は健在です）そして何と私はその墓を蹴り出したのです。
「人生泥棒」「人生を返せ」怒りです。
３７歳で会社を辞めることが出来なかった私は定年まで勤務。その結果人生を失ってしまったと、親に対する怒りで満ちあふれ親の墓を蹴飛ばしていたのでした。

私は「魂の叫び」に勇気づけられ、「未来のブィジョン」に驚愕（こんなことがあってはならない）し、２００２年６月末に退職したのでした。
もちろん退職後の進路は心理カウンセラーを目指すことです。

その後心理カウンセラーを目指して自分の人生を歩き出しました。
様々なことがありましたが、私は運よく開業カウンセラーとしてルームを運営し、今はカウンセラー養成講座も準備中です。
また本も「シンクロニシティに導かれて　会社を辞めて出会えた本当の自分」出版しました。

自分の人生、自分で決めて前進をする。
親の人生ではなくは自分を生きる。
自分が自分の人生を生きてこそ、アダルトチルドレンからの回復です。

会社退職時までのアダルトチルドレンの辛い体験、その後の自分の人生を創る旅、アダルトチルドレンの体験を活かして心理カウンセラーとして仕事をすることにより、過去に対するこだわり、親に対する復讐のような気持ちは消えていきました。

もはやどうでもいいやいう感じです。
過去を受け入れたのでしょう。


そして２０１０年７月。
父は天に召されました。
私は長男で喪主を務めました。

しかしもし私が３７歳の時に会社を辞めておらず、自分の人生を歩むことが出来ていなかったら、私は父に対する怒りから葬儀には出なかったかもしれません。
また入院中の父を見舞うこともなかったでしょう。

復讐です。

私は会社を辞めてから父と和解したわけではありません、ただ私のわだかまりが時とともに消えていったのです。
小学生高学年から会話らしい会話をしない親子でしたので、父が亡くなるまで会話はほとんどありませんでしたが・・・。

ただ、私の気持ちに父に対する怒りがなかったことだけは確かです。

私は父から暴言を吐かれたり、叩かれたり、虐待を受けたわけではありません。
ただ父は自分がよかれと思ったことを私に押し付け続けただけです。
それを受け入れることが私にとっては辛かった。
そして、押し付けられたことを我慢して受け続けたことから、人としての成長も遅れ、人間関係形成が困難な性格となり、年齢相当の社会性を身につけることが出来ませんでした。

でも、父は決して私を愛していなかったわけではなく。
・・・溺愛でした。

残念なことは父が私との距離の取り方をもう少し考えてくれていたらと思います。
あまりにも私に執着しすぎた、私の中に入り過ぎた、また１人の男として接することが出来なかった。

これさえなければ。
私も「親に対し今後一切何もしてやらない」と小学生高学年時に決断をすることもなく、もっと良好な親子関係が築けたと思います。

残念です。


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         <pubDate>Sun, 08 Aug 2010 13:20:10 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>私が親に対して今後一切何もしてやらないと決めた時</title>
         <description>私は小学年の高学年より親とほとんど会話をしていないと思います。
そして以降親孝行らしいこともしていません。

なぜそうなったのでしょうか。
いろいろと考えますと、私は小学生の高学年の時に「親に対して今後一切何もしてやらない」と決めたように思えるのです。
（このことを最近思い出しました）。

私はアダルトチルドレンです。
機能不全家族のなかずっと生きてきました。
そして子供ながら親からの理不尽等ずっと我慢してきました。
（我慢してきた感情は強く残っていますが、実際に何をどう我慢してきたと振り返るとなかなか思い出せません。慢性的に嫌なことが続いていたのでやむを得ないと思います）。

今回は「親に対して今後一切何もしてやらない」と私が決意したきっかけを書きたいと思います。
これは我慢していた怒りが頂点に達した瞬間かもしれません。

1　母に対して
小学生高学年の時家庭科の授業でサンドイッチの作り方を実習で習いました。
そして私は早速母親等に習ったサンドイッチを食べてもらおうと思って家で作りました。
（当時はこんなに優しい気持ちがある子供だったのです）。

そして1～2時間程調理をして完成しました。
しかし母親は「そのまな板は汚れている。そのまな板で調理したものは食べられない」と言い放ったのです。
（私が調理で使ったまな板は除菌をしていなかったようです）

この言葉。
まったく思いやりがありません。
せっかく一生懸命作ったのに。
この言葉以降私は母に対して今後一切何もしてやらないと決めたのでした。

もちろんこの決意より以前に私に対する多々の批判、否定があったのですが、この言葉で私はキレたのでした。
我慢の限界だったのでしょう。

２　父に対して
私は幼稚園の時よりピアノを習っています。
これは父が私にピアノを教えたいから、その希望を叶えるために嫌々習っていました。
もちろん幼稚園の時はこの意識はなかったのですが、小学生高学年時には「ピアノは父のために習っている。本当はやめたいのだが父のために弾いている」という意識をはっきりと持っていました。

嫌々習っているのならやめれば良かったのですが、「ピアノをやめる」と言うと父が悲しむだろうと思いも嫌々何年も習っていました。

しかし小学生６年の時私がキレる事態が起こったのです。
当時父の勤務する会社の社宅に住んでいたのですが、マンションを購入しようということになりました。
そして父が一言、言いました。
「こいつのピアノがあるからあまり遠くには引っ越せないなぁ」
（これは今住んでいる所より遠くに引っ越すとピアノの先生をかえないといけないいう意味です）。
この父の言葉を聞いた私はキレました。
「お前のためのピアノやろが」
（言いはしませんでしたが鮮明に記憶しています）。

この時私は父に対してこの男の無理解さにキレて、以降何もしてやらないと決意したのでした。
父のために嫌々何年もピアノを習っているという私の感情を無視された怒りです。
日々自分の嫌という感情を抑えてピアノを習っていた怒りが頂点に達したのです。

それに私は人生を父に差し出したのです。
これ以上の親孝行はないでしょう。
だからもう何もしない。
子供ながらに思いました。


※小学生高学年。
私は親に対して今後一切何もしてやらないと決断したのです。
これ以降、親と会話することをやめたと思います。
言っても無駄という諦めと怒りです。
（ただしこれ以前の親との記憶もほとんどないのですが）

そして私のこの決断が解除されるのは、これより２５年以上先のことになるのです。
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         <pubDate>Thu, 05 Aug 2010 11:18:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>家</title>
         <description>皆さんは家と聞いて何を思い浮かべますか？

ＨＯＮＥ、ふるさと、実家、帰る場所、居場所・・・。

何か心暖かい気持ちになりますか？

さて、アダルトチルドレンは事情が違います。
（家とは子供時から住んでいる、または住んでいた家を示します）。

家とは、生き辛さを感じた空間であり、閉塞感漂う箱のようなものです。
　
〇家で両親と暮らしている場合は次のような生き辛さを感じます。

子供時より続く親との軋轢、問題。
未だに解決することなく家ではどんよりした気持、怒り、悲しみを抱いて生活をしています。
家は安全で暖かなものではなく、行くあてがないのでしかたなく暮らす空間なのです。

もちろん経済的に自立していれば出ていくことも可能ですが、自立していない場合は、心の平穏はないけれど、そこに住まざるをえない。

そして、彼らの心の安全は部屋の中にしかありません。
しかし、あまりにも家の中が生き辛いものですと、部屋にいても気持ちが晴れず、部屋でもぼんやりとしてしまい、やる気も起らず生気を吸い取られてしまう。
ただただ時間が無駄にその秒針を刻む。
このような感じを抱く時も多々あるのです。

外から帰ってきて、家、部屋に入った瞬間、重たいものがのしかかってくるのです。


〇次は自立している（経済的自立をして家から離れて暮らしている、もしくは結婚して家から離れて暮らしている）場合です。

家（実家）で過ごした年月にはあまり良い思い出がありません。
むしろ辛かった。

したがって、家に帰るということは安心した自分の空間（自分が今暮らしている家）から、過去の生き辛かった空間に入るということなのです。

親は以前より年老い丸くなっているかもしれません、もしくは以前よりもますますパワフルに自分に固執しているかもしれません。

いずれにせよ、家が近づくにつれ足取りも重く、気持ちも重たくなっていきます。
そして、家に一歩踏み込んだ瞬間あの何ともいえない、どんよりとした空気を一瞬にして感じ、気持ちがさらに重たくなってしまうのです。

そして、親が以前と変わっていない場合は、親との対応から心の葛藤を感じながらも、そこで幾時を過ごし、心身疲れ果て自分の家に帰って行くのです。
人によっては自分の家に帰ってから体調不良でしばらく寝込んでしまう方もおられます。

しかし、なぜここまでの思いをして、家に帰るのでしょうか。

そこには「親孝行」「親子だから」「親を安心させたい」等、親への配慮があります。
生き辛さを与え続けた親、そしてその象徴である家。
それでも、親を思い家に帰る人々は立派なのでしょうか。

人によっては「親子の縁を切りました」「せいせいしました」という方もおられます。

どちらが正しく、悪いとも言えません。

家、そこに住む親、親子の問題は根深いのです。
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         <pubDate>Sun, 18 Apr 2010 14:45:18 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>回復のスタート　安全な居場所の確保</title>
         <description>アダルトチルドレン、生き辛さからの回復のために最も重要なこと。
それは安全な居場所の確保です。
安全な居場所とは、心が安定していることが出来る、居場所ということです。

そして安全とは今自分の生き辛さを招いているその事象、事態より遠ざかることでもあります。
しかし、この自分の生き辛さを招いている事象、事態もその原因により２つに別れます。

１つはその原因が外部からの侵入によるもの、もう１つは自分の反応によるものです。
今回の安全な居場所の確保については外部からの侵入により、心の安定が脅かされることについて書きたいと思います。

しかしその前に、自分の反応により生き辛さを感じていることについて簡単に書きます。
例えば職場での人間関係に悩んでいる人がいます。職場の人は皆いい人ばかりなのですが、悩んでいる本人に対人不安の傾向がある場合です。
職場の人に見られているということに対して不安を感じる、または大勢の人がいるということに対して不安を感じる、これらは自分が環境に勝手に反応して、職場が安全な居場所ではなくなるのです。
これは自分の反応の問題です。

さて、本題です。
外部からの侵入により心の安定を脅かされるとはどのような場合でしょうか。
例えば親子関係の悩みです。
常に親から過干渉があり、子供が家に帰ってくれば都度干渉が始まります。
干渉だけならまだいいのですが、否定、暴言が混じってきますと、聞いている方はたまりません。
この場合子供に経済力があれば別居して、親からの干渉、否定、暴言から逃れ、自分の心の安定が確保出来る場所を持つことは大切だと思います。
アダルトチルドレンからの生き辛さの回復には、自分創りが欠かせません。
安全な場所に自分がいることが回復へにのスタートなのです。
なぜなら心の安定が図れない場所では、心の回復は図れないからです。
日々外部からの侵入がありますと、それにより日々ストレスを感じます。
不要なストレスを感じる状態では心の回復は難しいでしょう。

ですから、外部からの侵入により心が安全な居場所が確保出来ない場合は、まず安全な居場所の確保が大切なのです。

この安全な居場所の確保については、例えばＤＶの相手と別れる、社内のパワハラ上司と距離を置く等、外部の人間の行為により悩み苦しむ場合はすべて侵入者から離れることが何よりも大切です。（離れるということは相手にその行為をやめさせることも含みます）。
そうしないとこちらがおかしくなるのです。

さて、この外部からの侵入の脅威に関することで難しい問題があります。
それは子供からの侵入です。
子供といっても幼児ですが・・・。
この悩みは若い母親に多いと思われます。
すなわち子供がしたい放題して母親の言うことを聞きません、この場合母親からすると子供がコントロール不能の脅威の対象となるのです。
もちろんすべての母親がこのような感覚を持っているわけではありません。

しかし母親によっては子供をコントロールしようと強く子供を叱りつけたり、萎縮させたりと、子供に対する感情のコントロールが出来ない問題で悩んでいる方もおられます。
私は子供がいないので、このテーマのカウンセリング今は受けないことにしていますが・・・。
以前受けていた時の母親のお話しを伺うと、やはり母親自身の親子関係に大きな問題があるようです。

例えば親から常にこうあるべきと支配的に育てられた場合は「子供に対しても行儀よくあるべき」と強く思ってしまったり、または綺麗にしている部屋を汚されことに恐怖を感じたりと・・・。
または静かにしていたいのに、うるさく騒ぐ子供に邪魔をするなと切れるのかもしれません。

しかし、子供とはそもそも自分勝手で親の都合など考えずに元気に活動するものですから、母親がそれを脅威と思ってもどうしようもないことなのです。
子供相手では親が安全な居場所の確保等出来そうもありません。
そして、この脅威者に対して感情のコントロールが効かない問題は、子供と一緒に暮らす限りはなかなか解決が難しいようです。
（子供に対するコントロールが効かず子供に切れ、遠慮なく侵入してくる子供に憎しみを抱く場合もあり、または子供を強く叱った自分に嫌悪感を抱き、子供に対して罪悪感を抱く、そしてこの悩みがぐるぐると日々連鎖するパターンに陥ってしまうのです）。

したがって、アダルトチルドレンと思われる方は結婚して子供が生まれる前にカウンセリング等受け、自分を癒す必要があるのではないでしょうか。

結局親が子供に対して感情のコントロールが効かない問題は、子供がそのために生き辛さを抱えてしまう結果を招くのですから。

世代間連鎖の恐怖です。
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         <pubDate>Fri, 18 Dec 2009 20:21:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>インナーチャイルドとは</title>
         <description>インナートャイルドという言葉聞かれたことはありますか？

私もカウンリンングにおいてインナーチャイルドという言葉を使う時があります。
インナーチャイルド。
訳すと自分の中の子ども。
実体はあるのでしょうか。

さてインナーチャイルドという言葉は心理カウンセリング以上にヒプノセラピーで使われているように感じます。

私が以前ヒプノセラピーでインナーチャイルドセラピーを受けた時のことです。
これはイメージのなかでインナーチャイルド（子ども時代の自分）と出会い、インナーチャイルドを自由にさせる（解放させる）作業のようでした。

私も自分のインナーチャイルドと出会い、セラピストの言葉に従ってインナーチャイルドを連れて外に出かけました。
森を通って、山の上（下は渓谷）のようなところにつき、一緒に下を見ました。

インナーチャイルドセラピーはイメージワークですので、イメージの中でインナーチャイルドが自由に好きに振舞うことから、癒しへとつながるのでしょうか。

残念ながらヒプノセラピーは１回しか受けませんでしたので、その効果は体感出来ませんでした。
しかし、イメージの中に自分の子どもがいることも事実でした。

さて、インナーチャイルドを自由にさせると書きましたが、するとインナーチャイルドはそもそも自由ではないのでしょうか。
人によっては自由なインナーチャイルドもいるのでしょうか。

自由、自由でない。
言葉を変えると健全なインナーチャイルドと不健全なインナーチャイルドがいるのでしょうか。

そもそもインナーチャイルドとはチャイルド（子ども）のことです。
子どもに健全、不健全があるのでしょうか。

私はあると思います。

これは心が健全か不健全かなのです。
では、健全、不健全とは何でしょうか。

生まれたばかりの赤ん坊の心は自由で澄んでいると私は思っています。
しかし、その心も親や養育者の影響、生育歴の影響により、縛られ、自由を奪われるのような感じがします。

では、心理カウンセリングにおけるインナーチャイルドとは何でしょうか。

私が思うインナーチャイルドについて書かせていただきます。
インナーチャイルドとは子ども時より培った、自分や周囲、人生に対する思い込みのような気がします。
そして、その子ども時に得た思い込みに縛られ続けているから、私たちは生き辛さを感じてしまうのです。

１　自分に対する思い込み
・私は愛される価値がない
・頑張り続けないと私は生きていけない
・私は不要

２　他者に対する思い込み
・競争に負けてはならない
・周りはいつも私のことをあざ笑っている
・人の頼みは断ってはならない

３　人生に対する思い込み
・お金がないと生きていけない
・成功しなければならない
・結婚は苦しみしかもたらさない


皆さんはこれらの思い込みに縛られ生きている人についてどのように感じられますか。
もしこれらの思い込みがなければ、人生どんなに楽でしょうか。
自由に感じ、自由に振舞い、生きていけます。

ヒプノセラピーでは、イメージにおけるインナーチャイルドがしたいように行動することにより。思い込み（その前提である親や養育者との葛藤、心の傷等含む）からの解放を図るものではないでしょうか（好きにしてもいいんだよというメッセージも含めて）。

それに対して心理カウンセリングのインナーチャイルドとはイメージ以上に言語により、親子関係、生育歴、心の自由を縛る思い込みや、過去の傷に話して頂き、必要であればその思い込みに対してどう対応するか言語により話し合い、思い込みからの解放を目指します。

イメージを主に用いるのか、言語を主に用いるのかによって、アプローチは変わってきますが、目指すことは共に心の自由なのです。

健全なインナーチャイルドとは自由な心であり、それは遊び心、楽しむ心、創造の心ではないでしょうか。

そして、生きていることを実感できる心ではないかと思います。
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         <pubDate>Mon, 14 Sep 2009 21:39:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アダルトチルドレンは結婚をしても良いが、子供を持つべきではないのか？</title>
         <description>「アダルトチルドレンは結婚をしても良いが、子供を持つべきではない」という意見を聞く時があります。

これは妥当な意見なのでしょうか。

私は半分妥当、半分妥当性はないと思っています。

ではなぜアダルトチルドレンは子供を持つべきではないと言われるのでしょうか？

それはアダルトチルドレンが機能不全家族の出であり、良き親のモデルを学習していないからではないでしょうか。

私たちは知っていることしか伝えることが出来ません。
機能不全家族の親の行動パターンのみしか知らないとなると、自分が親になり子供を持っても、生き辛さを与えた親と同じ行動、子育てを自分の子供にしてしまう可能性が高いのです。

この意味においては、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見は妥当かもしれません。
要は自分の親と同じことを、子育てを通して子供にしてしまい、子供に生き辛さを伝播させないために、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見があるのでしょう。

確かに知っていることしか伝えられない私たちにとってはそうなのでしょう。
しかし、知っていることとは、自分の直接経験したことのみではありません。
学習により知ることも出来るのです。

アダルトチルドレンが親の機能不全の子育てを経験して生き辛さを抱えていたとしても、家庭の形成、子育て、家族について学び、学習をして、自分なりの理想を持てばいいのではないでしょうか。
俗に言う、親業を学ぶということです。

新しく学習することにより、家族、子育てについて、自分なりの理想やモデルを持てたとすれば、アダルトチルドレンが子供を持ってもまったく問題はないと思います。

この意味において、アダルトチルドレンは子供を持つべきではないという意見については、妥当性がないと思います。

アダルトチルドレンが親になる際に大切なことは、自分は機能不全家族の出であり、親の養育問題より自分は生き辛さを抱えているということをまず認識していることです。
そして、自分の人生を振り返り、生き辛さの原因を知り、子育てについても学習することなのです。


さて、ここまではアダルトチルドレンの一般論について書いてきました。
ここからは私について書きたいと思います。

私はまだ独身ですが、実は私は家族団欒という言葉のイメージが出来ないのです。

家族団欒とは何でしょうか？

正直、私には分かりません。
おそらく家族団欒とは家族揃って食事をして、話しをして、その雰囲気を楽しむことではないかと思うのですが・・・。
残念ながら私にはその経験がないから分からないのです。

おそらく子供時には家族団欒の経験はあったのでしょうが、思い出せません。
私が家族関係で思い出されるのは、1人で部屋で過ごす時間が多かったということです。
1人部屋で何をしていたかと振り返りますと、これも思い出せません。

私は子供時何をしていたのでしょうか？

さて、家族団欒に話しを戻します。
先に書きましたように、私には家族団欒のイメージが出来ません。
それ以上にこの言葉には違和感を感じてしまいます。
ということは、私にとって家族とは苦痛の種だったのでしょう。

揃っても楽しいこともなく（本当はあったのでしょうが）、安心出来る居場所ではなかったのでしょう。

そして今後の私の課題としては、仮に結婚をするのであれば、家族について理想を考える必要もあるのかなと思っています。
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         <pubDate>Thu, 28 May 2009 21:39:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>あれは一体何だったのか</title>
         <description>アダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていますと、忘れていた記憶が急に思い出されることがあります。
忘れていた記憶ですから、感情的に強く思い出されるのではなく、「そう言えばあんなことがあったなぁ」と静的な感じで思い出され語られます。

私の場合もありました。
数年前に思い出したことです。

私は幼少の頃よりピアノ（著書シンクロニシティに導かれてでは、バイオリンと書かせて頂いております）を習わされていました。
これは、父親がピアノニストにしたかったから？だったと思うのですが。
しかし、私はピアノの練習が嫌で、私としてはピアノについては父親のために習っているという感覚を幼いながらに持っていたと思います。

さて、思い出した記憶とは次のようなものです。

小学生４年生ぐらいの時、何かとても偉い先生の前でビアノを弾かされました。
そして、「ピアニストは無理です」（これに近いこと）を言われたと思います。

なぜ、この偉い先生の前でピアノを弾いたかですが、これは記憶しています。
当時習っていた先生が音大の講師の先生で弟子をピアニストにしたい先生でした。なぜ、私がその先生のもとで習っていたか経路は把握していませんが。
そして、たぶんその先生が私にはピアニストにはなる素質はないと判断され、それを更に上の偉い先生に判断してもらうという形を取るために、父にそのことを勧めたのだと思います。

そして、私はなぜか分かりませんが、偉い先生の前でピアノを弾いて、「ビアニストになるのは無理」と判断されたことを思い出したのですが。
この思い出したことには続きがあります。
それは、音大の講師の先生から、先生が別の先生に代わったということです。
講師の先生はピアニストを育てるのが仕事ですから、素質のない私は不必要だったのでしょう。

さて、ここまではたんたんと出来事を書いてきました。
しかし、この出来事について私は記憶はあっても感情はありません。
でも共感能力を発揮して時系列に考えれば、子供がたいへん傷つく出来事だと思うのですが。

偉い先生にピアニストは無理と判断されたことについては、悲しみを感じて当然でしょう。
そして、音大講師の先生から他の先生へ。これも、先生が代わるのですから、自分に対する価値のなさや悲しみを感じて当然です。
そして、父親のためにピアノを習っていたのですから、父親の期待に応えられなかったという思いも感じていたかもしれません。
しかし、すべては推測。
当時の感情がないのです。

でも、今考えるとなぜ父親のために、このような不愉快な思いをしなくてはならないのかとも思います。
ビアノを習っていたと言っても、私はピアノの練習が嫌いで、１日６０分間程度、嫌々弾いていたのです。
当然、ピアニストを目指す人間の練習量ではありません。
ですから、ピアニストなれないのは当然なのです。

おそらく父親も漠然とピアノニストと思っており、何のヴィジョンもなかったのでしょう。
ピアニストを目指す子供の練習量は１日、５時間以上。
半端ではないのです。


あれは一体何だったのか。


アダルトチルドレンには感情の伴わない出来事の記憶が一杯あります。
それは、アダルトチルドレンが自分を守るための防衛機制です。
記憶に感情が伴うと悲しすぎて生きていけないのです。


あれは一体何だったのか。
あれは一体何だったのか。


すべては過去の産物なのでしょうか。


あれは一体何だったのか。
これは今も私たちに影響している過去の産物・記憶・思いです。

例え感情がなくても、もう傷つきたくない気持ちはあります。
その傷つきたくない気持ちから、自分を縛る行動や、他者との関係性が築けない行動等、今の私たちに影響を及ぼしていてるのです。


あれは一体何だったのか。
私の過去に何が起こったのか。
そして、小さかった私はその後どう生きようと決断したのか。

今の生き辛さからの解放、アダルトチルドレン回復への鍵なのです。
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         <pubDate>Tue, 17 Feb 2009 23:23:48 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アダルトチルドレン回復へ　まとめ</title>
         <description>今までアダルトチルドレンについて、主に自分の経験から書いてきました。
では、ここでアダルトチルドレンからの回復のプロセスについてまとめをしたいと思いまいす。

アダルトチルドレン回復へのプロセス

１　生き辛さに気づく

自分は何か生き辛い、何か人と違う、自分に違和感を感じる等、すなわち気づくことが大切です。
気づかないと生き辛さが当たり前であり、生き辛さに疑問を持つこともなく、回復へのスタ－トがきれないのです。

２　過去を振り返る　感情に触れる

アダルトチルドレンは機能不全家族を生き延びるために自分を喪失しています。
過去の家族関係等を振り返り、感じていた本当の自分の感情に気づき、過去を嘆き、怒る等封じていた感情を発散することも有効です。
しかし、人によっては感情を感じたくない、過去の感情に触れることを拒否される方もおられます。それはそれでいいと思います。無理をして辛い感情を感じる必要もありません。
でも、感情を感じることが癒しに通じることもあることも事実です。

また、感情の感じ方ですがこれも人様々です。私はカウンセリングにおいてあまり泣き叫ぶ方を見たことがありません、どちらかというと静かに感情を感じられ涙する方の方が多いのです。

３　思い込みに気づく　

アダルトチルドレンは子供時の親子関係より様々な思い込み（強くなければ価値がない　私は価値がない　人生は戦いだ等）を抱いています。これは親からの取り込みもあれば、自分が自分に課したのかもしれません。
そして、これらの思い込みが今の私たちを縛ります。
思い込みは根拠がありません。なぜ、その思い込みを持ったのか子供時を振り返り、今への影響を考え、自分を縛る思い込みを手放し、健全な思考へと変更するのです。

また、子供時を振り返ることについてはアダルトチルドレンは子供時の体験を覚えておられない方も多々おられます。たとえ子供時を覚えていなくても、今の自分を縛る思い込みは認識出来ます。
必ずしも過去にこだわる必要はありません。
今に気づき未来を築くのです。

４　役割を変更する

アダルトチルドレンは機能不全家族を生き延びるため、様々な役割を背負い続けてきました（頑張り屋、助っ人、ロンリ－、ヒ－ロ－、マスコット、いけにえ、プリンス等）。
その子供時より背負い続けてきた役割を今も社会生活をおくるうえで背負ってはいないでしょうか？
機能不全家族を生き延びるために必要であった役割が、今の自分に必要かどうかです。
おそらく必要はないと思います。
今の自分に気づき、古い生き延びるための役割を脱ぎ捨てるのです。
そして自由に。

５　親への思いの整理

これは無理をしてする必要はありません。
しかし、アダルトチルドレンは世代間連鎖の問題であり、親もアダルトチルドレンであり生き辛さを背負っているはずです。
親を許しなさいと言うつもりはありません。
私たちも親も世代間連鎖という大きなシステムの影響を受けてしまったのです。
そして、世代間連鎖のシステムの流れを理解することは、私たちが次の世代にアダルトチルドレンの生き辛さを伝えないためにも有効です。
そして、このシステムの連鎖を断ち切ることが、アダルトチルドレンの偉業なのです。

許すとは相手のためにあるのではありません。
自分のためにあるのです。それは自分が楽になるために・・・。

６　他者との境界の設定

自分と他者の境界を設定します。
境界のない人間関係とは、人の視線や気持ちばかり感じ優先して、自分を抑える関係性です。
他者と自分の境界を設定するということは、他者の気持ちばかり推し量らず自分を表現するということなのです。

しかし、境界の設定が難しいと感じた時は、そこには他者に対する思い込みがあると思います。例「嫌われたら終わりだ」「本当の自分を知られたくない」等。
これらの思い込みも根拠がありません。
思い込みを変更して他者より自由になるのです。

７　適切な自己表現を学ぶ

アダルトチルドレンは自分を守ることに一生懸命でした。それには、無理に他者に迎合する、自分を出さない、敢えて高圧的に振る舞う等の手段を用いてきました。しかし、これでは他者と円滑な人間関係は築けません。他者と円滑な関係を築くための適切な自己表現、コミュニケ－ションを学ぶことも大切です。

８　行動の促進　人とつながること

人は人を通してしか成長出来ません。
他者との境界を保ちながらも、他者との関係性を築き、様々なことを学ぶのです。
恐れていたこと、不安に思っていたことが現実に起こるのか、行動の促進を図り現実から学ぶのです。

９　自分にＯＫを出す

回復のプロセスを歩み成長している自分にＯＫを出すこと、生き辛さを抱えながらも今まで精一杯生きてきた自分にＯＫを出すことです。
自分を認めてあげることが出来るのは自分だけです。
自分が自分にＯＫを出すのです。

１０　自分を創る

アダルトチルドレンは今まで自分を抑圧してきました。本当の自分の人生を生きてきていません。今こそ自分の本当の気持ちに正直に、やりたいことを行い、夢を抱き進み、新しい自分を創造し、新しい人生を歩むのです。
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         <pubDate>Fri, 05 Dec 2008 21:04:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>理想の自分を叶える　自分を創造するということ</title>
         <description>平成１４年６月（２００２年６月）に私は１４年３ヶ月のサラリ－マン生活を終了させました。

今は平成２０年１０月（２００８年１０月）。
会社退職から、６年４ヶ月がたっています。

会社退職時に想ったことは、将来自分のカウンセリングル－ムを持ち心理カウンセラ－として仕事をしたいということです。
しかし、すぐには心理カウンセラ－としては活躍出来ないと思っていましたので、まずキャリアカウンセラ－（就職支援のカウンセラ－）として公的機関（ハロ－ワ－ク等）において仕事に就き、その後自分のカウンセリングル－ムをオ－プン。しばらくはキャリアカウンセリングと心理カウンセリングの仕事を並行して行い、最終的には心理カウンセリング１本で仕事をしたいと想ったのです。

そして今。
退職時目標にしていたカウンセリングル－ムを平成１８年９月（２００６年９月）にオ－プンさせ週末は心理オフィス　ステラで心理カウンセラ－として仕事を行い、月～金はキャリアカウンセラ－として公的機関において仕事に就いています。

まだ心理カウンセリングのみでは生計を立ててはいませんが、今の自分には満足しています。

これもアダルトチルドレンからの回復における成果だと思っています。

アダルトチルドレンは基本的に本当の自分を生きていません。自分を抑圧するにせよ、人を支配するにせよ、子供時からの役割や思い込み等に支配され本来の自分を封印し、様々な生き辛さを抱え生き続けているのです。

これは偽りの自己です。

ですから、アダルトチルドレンからの回復には本来の自分のパワ－を取り戻して発揮する必要があるのです。
そのためには自分はどうありたいのか、どのように生きたいのか、目標、理想、夢を描くことが第一です。（無意識はすべてを知っていると言われています。その目標、理想、夢がエゴではなく心の中から描いたものであれば、それが本来の自分かもしれません）。
そしてその目標・理想・夢に向かって日々前進するのです。

これは言葉を代えると、「理想の自分を叶える」ということです。

理想の自分とは前述しましたが、自分はどうありたいのか、どのように生きたのか等です。
これには仕事を変えることも含まれますが、それだけではなく性格の変容も含まれます。

例えば、「常に自分を抑えて自己表現を控えている」人がいます。
その人が自分はこう変わりたいと「なりたい自分」「理想の自分」を描き、その理想の自分の実現に向けてチャレンジをするのです。そして達成するのです。
これが「理想の自分を叶える」ことです。

上例の人が「常に笑顔で誰とでも気さくに話しをする自分」と、理想を描いたとしたら、その理想に向かってチャレンジをします。
これには、笑顔の練習、自分から話しかけること等、今まで自分が苦手意識を持って避けていたことに、積極的に動き、チャレンジすることが大切です。

なぜなら、行動・チャレンジをしなければ目標・理想・夢は達成出来ないからです。
想っているだけでは何も変わらないのです。
仕事を変える、性格の変容、自分が変わるためには行動とチャレンジが絶対です。

私は仕事を変えました。
そして、目標とする心理カウンセラ－として仕事をするために、常に積極的に動いてチャレンジをしています。
もちろん、このチャレンジは自分なりに精一杯していることであり、他者との比較は無用です。
理想の自分を叶えるということは、その自分になるために自分なりに精一杯努力することなのです。
自分は自分でいいのです。

そして、理想の自分を叶えるということは、自分を創造することであり、自分を築くことでもあります。

私が創造したのは心理オフィス　ステラだけではありません。
私自身を私が創造したのです。
築いたのです。

これには人前で話すことが出来る自分、積極的に物事提案する自分、声の質を変えた自分、文章能力を向上させた自分、交渉出来る自分等々。

心理カウンセラ－を目指す過程において、会社員をしていたのでは体験出来ない様々な出来事を必然的に体験することにより、新たな自分の能力を獲得することが出来ました。

ある目標を設定して行動することは、行動の過程における様々な体験より、予想以上の成果を獲得することもあるのです。

理想の自分を叶える、人生を創造するということは、新たな自分を築き、新たなパワ－を獲得することなのです。
これは自信の獲得につながり、自己信頼感をもたらします。

例え目標が性格の変容であっても同じです。

アダルトチルドレンは親から健全に育てられていません。
厳しい言葉で書くと、人として育ててもらっていないのです。
体を大きくしてもらいました。学歴もついたかもしれません。
しかし、人間性を育んでもらってはいないのです。

ですから、アダルトチルドレンは自分で自分を育む必要があるのです。

自分でなりたい自分、理想の自分を創造して。
その理想に向かい前進することにより、自分が自分を育てるのです。
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         <pubDate>Tue, 28 Oct 2008 20:43:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>自分の人生を生きないと</title>
         <description>私が会社員を退職したのは３７歳の６月の時です。

前回より退職に至った理由を書いていますが、退職を決意した理由は複数あります。
今回はその理由を振り返ってみたいと思います。

１　仕事にやりがいを感じない
入社以来１４年間勤務していましたが、仕事に対するやりがいを感じたことはほとんどありません。
事務という仕事柄もあるでしょう。また、私自身の積極性のなさが災いしていたのかもしれません。
これからも、この仕事からやりがいを感じることはないと思っていました。

２　将来に希望が持てない
やりがいと同じです。自分が定年までこの会社にいて仕事をしているヴィジョンが描けませんでした。
また、仕事は事務でしたのでずっと同じビルの同じフロアにいました。もし、このまま定年を迎えると本当に世間知らずで終わるのではとも思いました。

３　役割を変えたい
前回書いた内容です。いい人の役割から降りたかったのです。

４　自分の人生を生きていない
会社には親の縁故で入りました。縁故でしか入社出来なかったというのが本音です。
しかし、アダルトチルドレンである私は自分の人生を自分で決定したことがありません。
常に親の言いなりだったように思います。
親は仕事を辞めることに反対していましたが、ここで引き下がったら一生自分の人生を生きられないと思ったのです。

これだけ理由があると退職しないわけにはいかないと思うのです。
これだけの理由があるにもかかわらず、安定した収入のみを求めて働き、仕事を変える、人生を変えることを諦めたとしたら、それこそ何の生きがいもなくダラダラ時を潰し、何の魅力もない自分のまま人生が終わる思いました。

そして、退職理由を振り返りますと、一番大きな理由は自分の人生を生きていないということのように思います。
自分の人生を生きていないから、積極的な姿勢で仕事をする気持ちにもなれず、また人間的にも魅力がなく、自分の理想のヴィジョンや夢も描けなかったのではないかと思うのです。

また、当時味わっていた感情を思い起こしますと、このままやりがいのない仕事を定年まで続けてどうするのかという怒りと、仕事を辞めることの不安の板ばさみの状態でもありました。

しかし、最終的にはこの仕事を続けていたら「人生を失う」と思い、怒りが優先して退職を決意したのです。

退職を決意した時、私を応援する言葉に出会っています。
これは、シンクロニシティでしょうか。

キルケゴ－ル
「あなたは冒険をすることにより自分の足場をしばらく失うかもしれない。
　しかし、冒険をしないと人生を失うかもしれない」

そうなのです、退職しないと、冒険をしないと、人生を失うところだったのです。


親に支配されているアダルトチルドレンが自分で自分の人生を決めることは大変難しく、困難が生じます。
それは、親の言うことを聞くことが当たり前であり、親の言うことに背くことは罪だからです。

機能不全家族以外では家族が各々自己主張を行い、子供が親の意見に反することを言っても、行っても罪の意識は持ちませんが、境界のない機能不全家族では話は別なのです。

機能不全家族では親は子供を支配するため様々な方法を用います。その１つが期待の押し付けであり、期待通りに沿った時だけ子供を認め、沿わないと罵倒して恐怖感を植え付けたり、ため息等つき罪悪感を植え付けます。

その結果子供は常に親を意識して、親の期待や価値観に沿うことを当然のように思い、自分の意思を放棄して親の意のままに生きていくのです。
意識、無意識に親の期待、意を汲み動いてきたアダルトチルドレンには、自分の意志を大切に、自己主張を行い生きることは、今まで植え付けられ続けたものとは正反対であり、親に対する裏切り行為にも感じ、罪の意識さえ感じてしまうのです。

また、親の期待に沿う、言う通りに生きている限りは親の庇護もあり、安心感もありました。親のテリトリ－の中で生きることは辛くしんどいことではありますが、親に守られているという安心感もあったのです。
しかし、親の期待に反する、自分の意志を尊重して生きることは、親にはむかうことでもあり、その庇護も失う、親に見捨てられる可能性もあり不安と恐怖を感じてしまうのです。

これは経済的に自立しているアダルトチルドレンでも、精神的には自立出来ていない時、親の庇護は必要ないにもかかわらず、親の期待に反することに罪悪感を感じてしまう時が多々あります。
親に対して期待に沿う義務感と、期待を裏切る罪悪感だけが残ってしまった状態でしょう。

今まで親の言う通りに生きてきたアダルトチルドレンが、自分の気持ちに正直に、自分の選択権を行使して、自分の人生を自分の力で生きていくことは大変な勇気が必要なのです。

でも、自分の人生を生きないと、人生を失うのです。
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         <link>http://www.ac-kaifuku.com/ac/2008/09/post_23.html</link>
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         <pubDate>Fri, 05 Sep 2008 17:34:34 +0900</pubDate>
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         <title>役割を変えたい</title>
         <description>前回は人生に疑問を感じながらも会社勤めをしている自分について書かせて頂きました。

実際に会社退職を決意した際は様々な思いがありました。
その中でも会社勤めを継続して身につけてしまった、役割を変更したいという思いがありました。
それは、「いい人の役割」です。

皆さんは「いい人」と聞いて、どのような人を想像しますか？

いつでも笑顔、優しい。
怒らず穏やか。
誰にでも親切。
共感能力が高く受容的。
気前が良くて裏表がない。

人によってはいい人のイメージは様々でしょう。

さて、アダルトチルドレンには子供時からの思い込みと役割の継続の問題があります。
アダルトチルドレンがいい人を演じているとすれば、それは子供時から親の愛を感じたことがなく、淋しさを味わい続けていました。そして少しでも親からの愛を得ようと「親に合わせなければ愛してもらえない」等思い込み、家庭内では親に合わし、自分を抑える役割を背負ってしったのです。
そして大人になっても「周囲に合わせなければ愛してもらえない」等子供時と同じ思い込み抱え、自分を抑え周囲に合わせいい人の役割を果たし続けるのです。

これはアダルトチルドレンがいい人を演じる場合の１つの例です。

さて、私の場合はどうだったのでしょうか。
退職時当時、私は中間管理職でした。
仕事は事務であり部下は全員女性でした。

私は部下にきつく言うことは出来ませんでした。これは嫌われたくないという思いが強かったのだと思います。
そして、部下が全員女性あり、機嫌を損ねてはあとあとの自分の仕事に影響する恐れも感じ、きつく言うこと指導することが出来なかったのです。

また、それと同時に自己主張するということが分かっていなかったような気もします。
私は子供時より自分を抑えていました。それは親に合わせるというより、どうせ言っても無駄という諦めと無力感を抱えていました。
成長するにつれてもこの感覚はずっと残っており、自己主張をすることはほとんどなかったと思います。
「どうせ言っても無駄」と思い込んでいたからでしょう。
また、自己主張をせず人とかかわらない青年期を過ごしていたので、コミュニケ－ションスキルが低く、スキルとしての自己主張、そこから部下指導の方法も習得していなかったようにも思います。

ですから、私がいい人を演じていたのは、相手の気持ちに敏感で嫌われたくない思いも強く、またいかに自己主張するのか、その方法も分かっていなかったと思うのです。
でも、その甲斐があって会社では「優しい上司」で通っていました。

しかし、退職前には自分が「いい人」の役割を演じ続けるのにしんどさも感じ始めていました。
おそらく１４年間の会社員・社会人として生活をおくるうえで、自分に対する自信も多少は回復して、自分の殻を破りたい気持ちだったのだと思います。
しかし、今まで自分を抑える役割を果たし続けていたのに、いきなり自己主張全開、カラ－を変えることも自分には出来なかったのです。

新しい自分を打ち出すには、新たしいステージが必要だったのです。
そして、自分を演じている役割から降りたかったのです。
そのために、会社を辞めるなんてと思われる方もおられるでしょうが・・・。
継続して身につけてしまった役割は、他者評価にも固定してしまっています。
ですから、私が我慢する人の役割を果たし終え、新しい自分になるためには、退職がもっとも有効な手法だったのです。

会社退職の理由は他にもありますが、私が会社を退職した理由の大きな１つに、継続してきた役割を変えたいという思いもが強くあったのです。


そして、今は若者の就職支援の仕事を組織に属して担当しています。
今の組織では前職のように「いい人を演じる」ことはまったくしていません。
人の視線、気持ちは敏感な性格ですから気にはなりますが、「どうでもいいや」と思うようにしています。すると、一瞬は気にするのですがすぐに忘れてしまいます。
また、主張すべきことは遠慮なく主張しています。たまに過激になっているかもしれませんが。

とにかく、我慢は辛いものです。
自分を抑え続けると心理的・精神的にもよくありません。
適度に自己主張することの大切さを実感を持って体験しました。
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         <link>http://www.ac-kaifuku.com/ac/2008/07/post_22.html</link>
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         <pubDate>Tue, 29 Jul 2008 19:51:39 +0900</pubDate>
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